10月3日(土)4日(日)10日(土)11日(日)12日(月・祝)と2週間続けてblanClassを「開放日」にした。「開放日ってなに?」と物議を醸し、そのたびに「ただ開放するのです」と答えていたのだが、実は岸井大輔率いる始末をかくチームによる、「始末をかく4|茶屋建築に求めてゆかなければならぬ」という街歩き演劇の辿り着く場所がblanClassだったというわけ。

blanClassの「開放日」と「始末をかく」の日程や時間帯がぴったり合っていたから、注意深い人は察していたかもしれない。でも、そうかと思うと、開放日にだけオープンしていた「ウラブラ珈琲」を目指して、何人かのお客様が訪れた。
ゆるゆるのウラブラたちとだらだらするお客さんたち、5〜6時間歩き回って疑心暗鬼なお客さんが、日没後blanClassで交差する様は、なかなかの見ものだった。そこでも最終日までは、真実を語れなかったわけだが…。

私も11日に、街歩きの観客として参加した。すでにだいぶネタバレ状態だったので、ほかの観客たちのようなニュートラルな驚きはなかったものの、だからこそ制作の裏表を両方受け入れながらの鑑賞となった。
戯曲の中心になっているクリエイティブシティーヨコハマの変遷には、どの事柄にも、一定の距離を置いて関わり続けたことばかりだったこともあり、その上、馬車道、みなとみらい、日の出町界隈、西戸部に
久保山、最後に南太田という道行きは、私にとっては、長年のお散歩コース。
坂だらけの街をさんざん登り降りした後、なんだかよくわからない
バラックのような建物の2階に誘われると、そこがblanClassです。
「ここはなんですか?」というのが、ほかのお客さんの正しい反応なのだが、私としては、目をつむっても、いつしか辿り着いている我が家に戻るという、極めて例外的なケースを味わうことになった。
戯曲は岸井の街歩き演劇の原点になった2001年のイベントを振り返るかたちで始まる。そこから15年足らずで大きく変わったかに見える横浜の文化遺跡を、あるいは、かつてはきっとなんらかの計画があったはずなのに、すでに朽ち果てたのか、かたち無き痕跡を通して、この街のいろいろのレイヤーに埋もれている物語を、未だにそこにあるものとして読み直していく作業だった。

45年以上、同じ場所から同じ街を眺めて、その印象を日々更新させながら、同じ場所に乗せてきたのだ。この小旅行で、そういう折り重なって貼りついた、もうすっかりひび割れた泥のようなものが、一瞬、剥けたような気がする。剥きだされたものは素顔だったのかはわからないが、岸井が示そうとしたものは地方都市に寄り添う文化の現状を丁寧に批判したものだったのだ。

街でも場所でも顔でも、時を重ねるとその上にドンドンなにかが重なってくる。物自体はそれほど変化する様子はないので、個人的な思い込みや社会的なすり込みで熟成していくのだろう、そのうち猫も杓子も重なっているもののほうを本体なのだと、馬鹿の一つ覚えみたいに連呼するようになる。もうもとの姿を忘れてしまったのだろうか? そうではなくて、はじめから見ていないのかもしれない。ただ重なっているものを剥がしてしまえば良いというものでもないのだろう。逆に丁寧に重なっているものを読み取ることぐらいしか、考えることの実践はないのかもしれない。

横浜の中心部は極小スケールで区画され、細かい単位で町名が区別されているために、実際のスケールよりも大きな街に錯覚してしまう。そんなミニチュアールに密集した箱庭の辺境に、blanClassは位置している。だからというわけではないが、あまり横浜を向いて仕事をしたことがない。ではどこを向いているのか? と問われると困ってしまうのだが、どこというのでもなく文化を発信し得る装置を模索している。ごく最近は「始末をかく4|茶屋建築に求めてゆかなければならぬ」のゴールがblanClassだったことに込められた批判が、なんだったのかを考えつつ、どうやったら、お互いがお互いを見たり聞いたり読みあうことができるのかを考えている。

小林晴夫(2015. 11-12. チラシ掲載)


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