2014.3.29.|The Academy of Alter-Globalization+森田浩彰Vol.3 [新年度プレゼン大会]募集要項
re:plan (素人のように考え、玄人として実行する?)

The Academy of Alter-Globalization+森田浩彰は、2014年度にblanClassで実現すべきプランをプレゼンテーションする場、そしてそのプランについてディスカッションする場をつくりたいと考えています。今回は、実現すべきプランを当日の参加者全員によるディスカッションのみで決定します。作品、パフォーマンス、イベント、その他、未だ実現されていない、思いついたけれどもどうやって実現してよいのか分からない、一人でやるには大変すぎるので誰か巻き込みたい、などの有象無象のプラン、思い、アイデア、あるいはアイデア未満のものもかまわないので応募して下さい。様々なアイデアを一つの土俵にのせて、参加者全員と未来にこの場所で実現されるべきことについて緩やかに考え、結論が出るまで話し合いましょう。 それらの摩擦を通して、我々を含む参加者とblanClass双方の日々の活動がより一層活性化し、革命前夜の会議の如く、刺激的で危険な夜のプレゼン大会となることを期待します。

 

The Academy of Alter-Globalization+森田浩彰は、2014年度にblanClassで実現すべきプランをプレゼンテーションする場、そしてそのプランについてディスカッションする場をつくりたいと考えています。今回は、実現すべきプランを当日の参加者全員によるディスカッションのみで決定します。

 

応募方法

blanClassでやってみたいパフォーマンスなどの作品を公募します。
blanClassでのパフォーマンスやワークショップのプランを動画で撮影してYouTubeにアップしてください!! その上で所定の応募用紙に必要事項を記載の上info@blanclas.comに送信してください。
※応募者の動画はこちらの特設ページにて随時アップ致します。
※動画の内容はパフォーマンスなどのシュミレーションでもスピーチ形式のものでもなんでもOK!!
※現役学生でもOK!! 短い作品でも気にせずトライしてください。
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応募用紙

word版

pdf版

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The Academy of Alter-Globalization+森田浩彰Vol.3 [新年度プレゼン大会]
プレゼン大会 日程:3月29日(土)
パーティースタート:18:00
プレゼンスタート:18:30
入場料:1,300円

※プレゼン大会にはご本人か、代理人が必ず参加しプレゼンをしてください。

 

応募者

#001 大川原脩平 [仮面ワークショップ]

〈プラン〉



企業や教育機関などで積極的に用いられはじめているマスクワークショップを提案します。もともと演劇などの舞台分野で用いられてきた仮面ですが、近年は一般にも広まり、下記のような効果が認められています。・非言語コミュニケーション能力の訓練
マスクをつけると、からだの意識が高くなり、身振りなどが大きく発達します。私たちが日常生活でコミュニケーションをとる際の身振りなどに注目し、より高い精度のコミュニケーションをめざします。・クリエイティビティの開発
マスクは自分自身のなかにある創造性を引き起こします。演劇の分野で独自に研究されたメソッドは、映像制作の大手ピクサーなどでも盛んに取り入れられ、創造性開発研修として役立てられています。・トランス状態の発見
トランス状態とはたとえば「非常に仕事がはかどり、気付いたら5時間経っていた」というような状態のことです。こうした状態に至ったとき、個人のパフォーマンスが高くなることが知られています。私たちは通常、偶然にこのトランス状態にはいることがほとんどですが、マスクを通じてその切り替えを意識的に訓練することができます。・社会力学の身体的体得
日常生活で経験する見えない力学を身体的に体験します。心理的な共感の原理や信頼の原則などを、マスクを通じて可視化し、擬似的なシミュレーションによって体感することができます。このほかにもさまざまな効果がある仮面の可能性について学びながら探っていくワークショップです。

大川原脩平|Shuhei OOKAWARA
『仮面屋おもて』店主。舞踏家。「日本における新しい仮面文化の創造」をかかげ、現代作家の仮面を扱う専門店、『仮面屋おもて』をオープン。舞踏家として活動する傍ら、仮面の概念を広い範囲でとらえることで、企業や地域などでのマスクワークショップを行っている。 舞踏家として、パジャマ姿で踊るのを特徴とする。また、踊りの概念を拡張することで従来の舞台芸術の枠をこえ、アートプロジェクトも行う。代表作にラジオ体操を舞踊芸術とする「ラジオ体操道」プロジェクト、豆をテーマにしたダンス「豆シリーズ」、「料理のレシピを振り付け化する」プロジェクトなどがある。
食に強い関心を持ち、食と姿勢・ふるまいに関するワークショップなども行っている。ダンス活動に、EPCO一万人コンサート 世界劇「黄金の刻」
 日本武道館 大駱駝艦  
•大野一雄フェスティバル2010「百年の舞踏」
 BankART1929 
•「911ジャパノイズ・オーケストラ公演」
 座・高円寺 伊藤まく 
•「驚愕と花びら」
 シアター・バビロンの流れのほとりにて 大橋可也・飯田晃一・灰野敬二 
•ダンスが見たい!14「シリンダー」
 日暮里d‐倉庫 ダンス01 武田幹也 ほか多数。</small>

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https://www.facebook.com/kamenyaomote

#002 吉田和貴 [6局のラジオ。(仮)]
〈プラン〉
動画URL
https://www.facebook.com/photo.php?v=10201751575493330&l=8269903007907118239

吉田和貴|Kazutaka YOSIDA
1973年東京生まれ。東京綜合写真専門学校研究科卒。主な展示に、1995「組織せず 放棄せず ただ視る」core(東京)、2005「静止している様子な世界のための」gallery Archipelago(東京)、2009「すこしも考えていなかった」art & river bank(東京)、2010 yosidak+Taxxaka 二人展「しかし、いずれの場合においても」アブラウリ(東京)、2013「どうして僕はこんなところに」mujikobo (横浜)、2013「広場でしばらく過ごすこと」atelierなのだ(長野)など。 2013 土湯アラフドアートアニュアルに参加。 写真学校在学中(1994頃)に友人4人とシェアしていた祈陽荘というアパートでの 「祈陽荘ギャラリー」や、杉並区和泉に、2003年1月~6月の半年間実在したギャラリー兼住居「ナンバギャラリー」のサポート、長野県塩尻市の大門商店街にある「nanoda」のコアメンバーになる等、一風変ったスペースへの関わりが深い。車を使ったドライブ+トークイベント「どうして僕はこんなところに」を主催。
http://d.hatena.ne.jp/ykazutaka/

#003 村社祐太朗 [叔父と叔父と叔父と]

〈プラン〉
http://youtu.be/Sknd2Cxex8U

上記したURLは3/8におこなった『叔父と叔父と叔父と』の初演を記録した映像です。この映像を参照したのち実際に同じパフォーマンスを生で上演したとき、どんな素敵なことが起こるか、またそれはどんな意味を持つかをプレゼンで説明したいと思います。その際の私のプレゼンのタイトルは「現代美術の枠組みの中に演劇という方法論を確立するための措置を、現代美術の枠組みと演劇という方法論を定義せずに行うために」です。

村社祐太朗|Yutaro MURAKOSO
1991年東京生まれ
2014年3月 和光大学表現学部総合文化学科を卒業予定
2010年 劇団「新聞家」を旗揚げ、現在までに七回の公演を行う。
2012年12月和光大学ポプリホール鶴川で演劇作品『回航録』を上演(作・演出)
2013年3月 下北沢UTILITYcanvasにて5日間、演劇作品『エルコの家出』を上演する(作・演出)
2013年に戯曲『回航録』が第19回劇作家協会新人戯曲賞の一次選考を通過
2014年2月 和光大学芸術学科卒業制作展でビデオインスタレーション『二地域間の問題』を発表
2014年3月 和光大学学生ホールにて演劇作品『叔父と叔父と叔父と』を上演(作・演出)
http://sinbunka.blog27.fc2.com/

#004 森尻尊 [watch “about violence” ~暴ちゃんと魔法使いのデシキシツ~]

<プラン>


 最近、ぼくは暴ちゃんについて考えることがあります。ぼくに限らず、暴ちゃんについて考える人は、少なくはないのではないでしょうか。けれども、ひとえに暴ちゃんといっても、当然、色々な暴ちゃんがいると思います。たとえば、物理的な暴ちゃんもいれば、精神的な暴ちゃんもいるだろうし、大きな暴ちゃんもいれば、小さな暴ちゃんもいます。一方的な暴ちゃんもいれば、双方的な暴ちゃんもいるだろうし、またそれぞれにおいて、正当ととされている暴ちゃんもいれば、不当とされている暴ちゃんもいるのでしょう。このような大雑把な例によらずとも、あらゆる場所に様々な暴ちゃんが存在しているし、存在してきたのだと思います。
 ぼくは、様々な人と多角的に暴ちゃんについて考えるためのイヴェントシリーズを企画しようと思っています。そして、あらゆる暴ちゃんのうちのいくつかを、あえて一緒くたに並べてみることで起こること、見えてくることについて考えてみたいと思っています。
 「一緒くたに並べてみることで起こること、見えてくること」についてですが、たとえば、暴ちゃんに正当なものと不当なものがあるとしても、ある暴ちゃんを不当と見なし、それに対して批判的になることは誰しもあるのではないでしょうか。それは、ある人にとっては重大な問題であり、その暴ちゃんに抵抗し、批判していくことは、生きていく上で必須なことなのかもしれません。けれども、その批判している暴ちゃんとは異なる枠組みの暴ちゃんに対しては全く見えていない、ということはよくあるのではないでしょうか。それゆえに、その見えていない暴ちゃんに、自らが無自覚に加担してしまうこともあるのでしょう。つまり、それは自らが批判している暴ちゃんと同じような構造の暴ちゃんを再生産している、あるいは再生産に加担しているということになると思うのです。確かに、ベンヤミンの言うように暴ちゃんは手段であり、用い方によっては正当なものになり得るだろうし、例え無自覚に生産している暴ちゃんだとしても、正当となる場合もあるのかもしれません。全ての暴ちゃんについて自覚的になることは不可能だろうし、そんな態度は鬱陶しいとさえ思えます。それに、どうしたって激しい暴ちゃんに晒されている状況の場合、考える余裕がないことだっていくらでもあると思います。けれども、少なくとも、不当である可能性に気づいたのなら、なるべく暴ちゃんに自覚的でいる、という態度があってもいいのではないでしょうか。今回の企画で、いくつかの暴ちゃんについてのイヴェントを並列させ、その中で、時にはじっくりと、時には直観的に考え、話し合い、体験することで、今までは見えていなかった、あるいは見えていても行為してしまう暴ちゃんの枠組みへのユーモラスな想像が生まれるかもしれません。そして、その想像についてもまた考えてみたい、例えばそんなことを考えています。

森尻尊 |Takasi MORIJIRI
1988年長野生まれ。日本大学中退。東京造形大学彫刻専攻2年。
CS-Lab チーフディレクター。主な企画に「けいじばんPROJECT」
 2011~,アステール総合美術研究所内トイレ前 /
「ある場所について相談します」2013,blanClass,student night /
「人体はどこで切るのか」2013,CS-Lab /
「テント村関連イヴェント【アフタートーク~blanClass@
 森美[From student night]について~】」2013,art & river bank /
などがある。

#005 武久絵里 [まばたきの料理]

<プラン>


誰かに、私が今まで自身の身体でやっていたパフォーマンスを、行ってほしいというプランです。
「まばたきの分解」という個展で、私は部屋の中で好きなだけジャンプをし続けるというパフォーマンス作品を発表しました。部屋や時間の質感、体積、色みを味わっていました。また、来場した鑑賞者の存在のボリューム、時間の持ち方を聞いていました。そしてそれらの要素の中で浮き沈みする自身のモチベーションを手で触り、よい位置に置いて、ジャンプをしていました。私がいつもいた立場に、他の誰かに立ってもらい、私は、いつも私を見ていた人の立場に立ってみたいと思います。自分にとって最もおいしく「いまそこにいること」を食べられるよう、切り方や火加減を考える、料理のような作業を、誰かにしてほしいです。やってくれる人を募集します。パフォーマンス作品としてワンナイト(あるいは数日間の展示形式)で発表することと、その前にいっしょに練習したり、やりとりをする期間を、blanClassで過ごしたいと考えています。

武久絵里|Eri TAKEHISA
彫刻家。1984年東京生まれ。2009年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻彫刻コース修了。彫刻体験を、「特殊なものの前に立つことによって、自身の存在が鮮やかになること」と考え、ものを置き続けている。主な個展…「まばたきの分解」(ギャラリーモーツァルト/2011)「lump」(apmg/2009)「あいさつ-障り」(ギャラリーKINGYO/2008)。共同制作・参加イベント…「ふるまいのアーキビスツ」(岸井大輔のプロジェクト/としまアートステーションZ/2014)「豊かに幸福な巣」(磯島未来振付・演出/みらい館大明/2013)「豆子花と冬の学校」(旧片浦中学校/2011)「ここ そこ ひとりごと」(イノウエみゆきと共作/ARCUS/2011)等。blanClassでの発表は「入ってよい部屋:たくさん出来事があったようでなかったよう」(馬君馳と共作/2013)「自分の姿勢を汲み上げる:誰かの姿勢を掘り下げる」(松本真幸と共作/2013)「新年パーティー」(2012)「ヤンゲスト・アーティスト・マラソン」(2011)「Youngest Artists Night [animated landscape]」(2011)「MUSIC PARTY」(2010)「澄み続ける水たまり」(佐藤玲子と共作/2010)。豊島区の中高生センター「ジャンプ長崎」での公開制作を2013年9月より継続中。

#006 増本 泰斗 [未定]

<プラン>

古道具屋さんから、破格の値段で仕入れた床の間の板を磨き、整形してつくった畳一畳分ほどの食卓がお家にある。床の間の板は、昔の日本の陶芸、中国の陶器、韓国の掛け軸、台湾の置物、オスマン・トルコ時代の金細工など、素晴らしい芸術を台座ように支えていた板だったらしい。一方、食卓の足は、そこいらのホームセンターで手に入る単管パイプで組んだ。足先には車輪をつけたので、ここにいながらにして、どこへでも行ける可能性をもっている。この可能性を一般化することはできないだろうか。

そんなことを考えていたから、blanclassをリノベーションできればと考えた。それは使い古され、ひとつの様式となってしまった、昨今の「リノベーション」ではなく、実験的だからこそ、おもわず息を呑んでしまう実践を支えていたblanclassを、我が家の食卓のように、足先に車輪をつけてみる。そんなリノベーションをしてみたい。

いずれにせよ空間は様変わりする。とはいえ、結局はそこでアートが繰り広げられるだろう。でも、これまでとはなんか使いがってが違う。たったそれだけで、脳内の最小回路がいびつな回転をはじめるかもしれない。そこに、クリエイティブな道筋が見えるかもしれない。かも。しれない。という感じ。



増本 泰斗|Yasuto MASUMOTO
1981年広島県生まれ。2007年~2008年ポルトガル・リスボン在住。「Grêmio Recreativo Escola de Política」および「The Academy of Alter-globalization」主宰。「予言と矛盾のアクロバット」参加。また、美術批評家の杉田敦との共同企画「Picnic」を行なっている。2006年東京工芸大学大学院修士課程メディアアート専攻写真領域修了。主な展覧会に「クリテリオム83」(水戸芸術館/水戸/2012)、「Blue, Red, White and Yellow」(観察社/広州/2011)、「No Soul For Sale」(テートモダン/ロンドン/2010)「56th Oberhausen International Short Film Festival」(ドイツ/2010)など。
yasutomasumoto.com



#007 高橋耕平 [態度と代理]

<プラン>


ある一つのテーマに対し、意見の違う複数人(ここではプレイヤーと位置づける)が、テーブルを囲み各々の主張を以て
対話をする。プレイヤー以外の人(ここではフォロワーとする)は、意見に賛同するプレイヤーの側に立ち、プレイヤー
が発する言葉を復唱する。多数のフォロワーを得たプレイヤー側の声は重奏になるとともに大きな声量となり、賛同を得
ないプレイヤー側の声は小さくなる。と想像することが出来るが、果たしてどうだろうか。フォロワーは対話の途中に支
持するプレイヤーを変えても構わないし、賛同の程度を復唱する声の大きさや態度で表すことも出来る。しかしプレイ
ヤーの中に支持したい者がいない場合フォロワーはどのような態度をとるのか。プレイヤーは緊張感を維持したまま対話
を続けることができるのか。フォロワーはプレイヤーのモチベーション足り得るか。フォロワーとプレイヤーは明確に分
離されたままなのか。態度の代理は可能なのか。このパフォーマンスは、意見や態度を代理すること/代理されること/それに抵抗すること、その心情と行動について考え、同時に代理システムの運用で起こる(起こりうる)事態について想像することを目的とします。私の場合《態度と代理》からすぐさま思い出されるのは間接民主制ですが、世にあるあらゆる代理システムについて、パフォーマンスの経験を通して考え、対話したいと思います。




高橋耕平|Kouhei TAKAHASI
1977年京都府生まれ。京都市在住。2002年京都精華大学大学院芸術研究科修了。物事の存在における一致と差異の有り様を、観察、実演、対話、共作等の方法を用い作品にする。近作では私的な出来事や関係を切り口に、個人とコミュニティー/集団、個人史と歴史の相互作用に関心を寄せ、ドキュメンタリーの手法を用いた映像作品を展覧会で発表。主な展示に、2014年「作家ドラフト2014 高橋耕平『史と詩と私と』」(京都芸術センター ギャラリー南/京都)、2013年「高橋耕平 個展『HARADA-san』」(Gallery PARC/京都)、2012年「かげうつし – 写映|遷移|伝染」(京都市立芸術大学ギャラリー@kcua1,2/京都)、2012年「加納俊輔·髙橋耕平展『パズルと反芻』」(island M E D I U M , N A D i f f w i n d o w g a l l e r y , 実家J I K K A / 東京) 、2 0 1 2 年「『消息- P r e s a g e 』鈴木崇+高橋耕平」 (HI-NEST BLDG./京都)、「イコノフォビア―図像の魅惑と恐怖―」 (愛知県美術館ギャラリー G1·G2室/愛知)、など。その他2013年より、アートを通じて予言的なものと向き合い、想像しがたい未来に対して仮説的に備える実践の場、《予言と矛盾のアクロバット》と題したプラットフォームを増本泰斗はじめ数名のアーティストと共に立ち上げる。これまでに十数回のプログラムを行い、プログラムは現在も進行中。

#008 関園子 [ドッジボール]

<プラン>


今回私たちは「ドッジボール」を提案します。ただ、今回のドッジボールは少し変わっていて髪の毛の塊をボールとして使用します。ルールは基本従来と変わらず、参加者は2つのチームに分かれてお互いボールを投げ当てあうという、皆さんも一度はしたことのあるスポーツです。今回はボールが髪の毛の塊を使う以外、基本は一般的なルールに則って行いたいと思います。当てられた人はコートの外に出て外野になりますが、内野の人を当てるもよし観戦するもよしです。ただし当てても内野には戻れません。そして髪の毛の塊がなくなるか、片方のチームの人数がいなくなったら終了です。ドッジボールの「ドッジ」という言葉は「さける・かわす」という意味で、今回は日常ではさける髪の毛でドッジボールをするということで、いつもさける話題や、ついさけてしまう話題についてドッジボールをしながら考え、ゲーム終了後にそれを皆で話しながら掃除をできたらと考えています。

関園子|Sonoko SEKI
1986年生まれ
女子美術大学絵画学科洋画専攻卒業
同大学大学院 美術研究科 芸術表象研究領域中途大学
〈主なグループ展〉
2013「I&○〜その距離について第1回距離ボケ」3331Art Chiyoda(東京)
2014「クウキのヨメナイ、ワタシたち」CAPSULE/SUNDAY(東京)
現在、次の制作の準備の為に髪の毛を集めながら制作中。また、「クウキのヨメナイ、ワタシたち」展での展示記録の公開をひそかに実施中。
http://sonokoseki.tumblr.com

#009 小山陽子 [未定]

<プラン>


①参加者は自らが日常的に撮影した画像データの入っているメディア(SDカードやCD-R等)をフォトショップ都立大店に預 ける
②その際に店側から他の参加者によって提供されたメディアと空のアルバムを受け取る
③店頭にて、受け取ったメディアの中から画像をセレクトし(最大40枚)現像する
④仕上がったプリントをアルバムに収め、店に預ける
⑤集まったアルバムを後日Blanc Classにて展示
自分が撮った写真、誰かが撮った写真、さらにまた別の誰かによって編集されたアルバム。
撮った人間の言葉が排除され、浮き彫りになったイメージが想起させるものに目を凝らす。
自らが当事者となり、考え、語り合う。眼前のアルバムの背後にありながらも、紙に定着されなかった膨大なイメージに思いを馳せる。そういった機会を作りたいと考えています。

小山陽子|Yoko KOYAMA
2005年 東京綜合写真専門学校 卒業
2013年7月より 写真DPE店「フォトショップ都立大店」を経営
個展
2005  『no dark』space kobo & tomo
2006  『She, sheep』art & river bank
2008  『Renée, la lune』art & river bank
2012  『小人をさがしに』mujikobo

http://toritsuphoto.web.fc2.com/

#010村田 紗樹 [whisper – amplifier]

<プラン>


村田 紗樹|Saki MURATA
経歴 1989年神奈川県出身。2013年東京造形大学美術学部絵画専攻領域卒業。(鹿児島県甑島/2011)、<代替energy>(出張blanClass@CSLAB by ステューデンツ/2012)、(東麻布Vague,ambiguous gallery/2013)、<耳打ちの焦点>(blanClass/2013)、<アートラインかしわ 《VISIONS2013〜映像のざわめき〜》>(千葉県柏/2013) など。

妙 [ネガの劇場 CAST A DOUBLE]

<プラン>


いきなり今から3、4万年くらい前の話からはじめて甚だ恐縮なのだが、そして話といっても歴史というお話がつくりにくいので「有史以前」などと言われる時代の「話」で申し訳ないのだが、旧石器時代の洞窟に「ネガティブ・ハンド」という壁画がある。3万年前の人の口から吹き出された顔料がステンシルの技法で現在の私達と変わらない形の手をネガに象っている。だからその手に触れられなかった色と息だけが、そこに見えている。言葉のようだな、声のようだなと思う。色に染まった手はそこにはない。しかし、その同じ空間の前に立つことの出来る人間は、自分の手の影をその不在の手の上に重ねる事ぐらいは、出来そうだ。たとえ同じ物質でなくても、同じ言語でなくても、いま、この口から何らかの声をその壁に向かって投げかける身体は、驚く程見えない三万年前のあなた達と似通っているだろう。マルグリット・デュラスという作家の映画作品ネガ(陰画)の手」の中でも「私は叫ぶ。…私は三万年前この洞窟の前に立った人間と同じだ」という言葉が聞こえる。三万年もいいけれど、三世代くらいの歴史からならば、始められるだろうか。現代アートも個人の存在も自分一人で始められるわけなく、歴史に組み込まれ、個々の物語の端緒を不可視の起源に負って生きている。しかし同時に生きている三世代分くらいのコンテクストからの影響を最も如実に受けながら、意識されたりされなかったりする何かを引き継ぎ、応答し、更新しようとする。見えたり見えなかったりする物語の回帰を恐れたり歓迎したり再構築しながら、その贖罪の責任さえ果たそうとする。
いや多分どんな大文字の歴史、どんな表象不可能な物語にも、アクセス可能な機会としての同時代という環境が、三世代分くらいの時間であり、家族という血縁なのだ。だから多分、時系列の線上の点の末端で歴史の真実の加重を支えようとするのは辞めよう。線だからいけないのだろうか。遡ることを、目的を、指示をうながす線。ではどこが始まりか分からない、負荷も分散された最小の図形ならどうだろう。そう、三角形を作ってみることにする。三世代、三角形の場所と時間を、誰もが、あきれるくらい普遍的に持っている。どんな差異があれど、作家も観客も、アートに関係のあるなしに関わらず、私達は三角形の1点である。誰もがその三角形の中からなんらかの声を引き出しはじめることが出来る。あるいはそれが完全には不可能である事から、自分の声をどのように使うかを考える。まず、「三世代の三角形からはじめよ。」「あなたの三角形の物語を教えてください。」他の点についても語ってください。他の点に語らせてください。私達に三角形同士を交差させてください。あなたの三角形を私達の三角形に開いてください。異なる三角形でも点と点をあらたな線で結んで星座になってください。そのための新しい平面を歴史にゆるしてください。コンテンポラリーという概念自体も、その更新のためだけの仕事にも、もはや私は意義を見いだせないけれど、長いスパンの時間軸について同時代の人と考え何かを実践できるという事に可能性を感じている。
ブランクラスという前の世代から受け継がれた遺産と歴史の刷新の気概と実践がある場所で、みえない物語の肩の荷を下ろして、まずは自分から武装解除して、素手の影を、いま、ここの素っ気ない面に、みんなで翳したい。いくつか青写真はあるものの、具体的なところまで詰まっていない部分や展開の可能性についてひろく議論、一緒に考える機会にできたら。

妙|Tae
自分を形成している三代三角形の経歴:女性三代「え」でおわる名前を引き継ぐ。母方の祖父は映画館を経営しており徳田秋声に弁士の習いも受けていたというので、字を読めない頃から紙芝居の朗読に夢中だったのと、映像と言葉という別の位相のイメージの問題意識への執心はそこから始まっているのかもしれない。映画への単純な愛着と銀幕を通じた見えない時間と共同体との連帯の強い感覚は遺産のひとつと思い、映画館に出向くのはお墓参りに近い気がしている。戦後シベリアに抑留された祖父の情報は「ボイヤンコフ収容所」で亡くなったという国からの通知のみ。母は満州で第二次世界大戦直前に誕生するが2歳未満の当時の事は見事に何も憶えていない。祖母と母は満州から引き揚げ後、広島の実家に戻れず、しばらく先祖のお墓の傍にいたところを親族に発見され、命がつながった。祖母は戦時中、引き揚げ中の経験をほとんど全く語らず、苦労を見せない美しさと態度を頑に貫いた。その圧倒的な物語の不在、歴史の表象不可能性が家族の中に平然と存在し続けていたことが、個人の作品「靴泥棒(未発表)」を要請する。本籍地京都の父の家系の歴史は割愛するが、自営していた建築設備設計会社の事務所に遊びに行っては青焼き図面をよく見て、いま、ここにはないものを想像していた。亡くなるまで多くの経験の機会と励ましを与えてくれたが、臨終の際にも閉じる事はないと言われ、耳にむかって言葉をかけ続けた時の声の距離と反響の感覚の強さは、今の活動にも直結している。 1978年岡山県岡山市生まれ。東京大学文学部言語情報学科フランス語フランス文学卒業。東京大学工学系研究科建築学修士課程修了。建築設計事務所での武者修行と実務経験から、非物質的な時間と空間の建築を目指したいと思うようになる。グローバル資本主義の特異な一部としての現代アートの側面からなるべく離れた一種の都市計画、社会事業として、作品と作家と観客の関係を開き、イメージやメディアの本質を実践的に発見するパブリックプログラムの作成、企画に携わった経験がある。現在Archive/Architecture プロジェクト「VOLUTION!VOLUTION!」主宰として、言語活動とパフォーマンス、演劇を主軸においた下記を準備中。「Bei-spiel」「Mispelling the Light/Dispelling the Silence」 「Trilogy (仮)」 「OTOLITH」 etc. 


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