もう一度からっぽ(2019_10)
blanClassは横浜の住宅街にある小さなスペースを拠点に、芸術を発信する場として2009年に活動をスタートしました。かつてここが現代美術を学ぶ教場だったこともあり、5年間ブランクになっていたこともあって、「空っぽの教室(blanc+class)」という意味を込めました。週末の夜にワンナイトイベント+公開インタビューを始めたのが「10月17日」なので、この10月で10周年を迎えるのですが、すでに公表している通り、この機にblanClassは長期休業に入ります。
活動前夜に書いたステイトメントには「いったんドアが開いたら、どんなことでも好きなだけ掘り下げて考えることができ、簡単には時代や社会に媚びないように、芸術を区分けしているジャンルや機能を飛び越えて、向こう側にある力強いメッセージを、より自由でシリアスな問題を、真摯に模索していきます。」という言葉で締めくくっていました。
直前に書いたステイトメントにしては、その後の10年分の活動をブレずに言い当てていると思います。確かにひとつひとつのイベントで、ひとりひとりのアーティストたちや参加したみんなが、それぞれに「学び」や「試み」を実践してきました。
ただし10年もひとつのシステムを稼働させていくと、その機能自体が役割を終える気もするし、世の中もまた変わり目を迎えているような気もするし、私自身がまたもや真っ白な状態になってしまいました。あまりジタバタしても良いことが起こる気もしないので、もう一度この場所を「からっぽ」にします。
10月中の4つのイベントはどれもファイナルイベントです。10月20日には10周年と休業の両方をお祝いしながら、休業してなお拡張する仕掛けとして「blanClassの日」を制定する予定です。
箱の運営はお休みしますが、webなどの運営を続けながら、またできることを模索していきますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。それでも一応これで一旦お休みです。どのイベントでも良いので、ぜひ遊びに来てください。
小林晴夫(2019.10 チラシ掲載)
オルタナティブであり続けたい(2019_8-9)
blanClassはプレファブリックな建物。屋根も壁もとても薄く、猛暑日は冷房がほとんど効かないくらい暑くなるので、2012年から8月は夏季休業を取るのが恒例だったが、今年の10月は10周年記念とクロージング関係のイベントが中心なので、通常のイベントが9月だけでは収まりきらなくなり、久しぶりに8月も開けることにした。なので、このチラシは8月と9月分、10月分はあらためてということになった。
ちなみに10月最後のイベントは10周年記念イベントではなく、「ステューデントアートマラソン」の予定。このチラシを作成をしている現在、そろそろ応募の〆切が迫ってきているが、まだ応募者はちらほら…、でもまあ、ギリギリになってもなかなか埋まらないないのは毎度のこと、また今回も土壇場でジタバタするかもしれない。(再告知もあるかもしれません。ご興味なある方はwebやSNSをチェックしてください。)
なぜラストイベントを「ステューデントアートマラソン」にしたかというと、ある意味で最もblanClassらしいイベントだと思ったから。そもそもこのステューデントイベントは、いろいろな教育の場で、なにかしら表現を始めてはみたけれど、自分の所属する専攻とマッチングがあわなかったり、卒業後、社会にすでにある、どういう専門にも、どんな領域にも、いかなる職場にも、ハマらないような気がする…。そんなステューデントたちが、一度今自分がいる場所から離れて、一息つけるような場をつくりたいという思惑があって始めた企画。
いまあらためて考えてみると、それは「ステューデントアートマラソン」だけのコンセプトというより、blanClass全体の運営理念でもあったと思う。
私は、いつの世も既存のどんなジャンルからもはみ出している表現や発言こそが「アート」なのだと信じているところがあって、意識的にそう主張してきたのだが、どんなジャンルからもはみ出しているという のは、端から見るととてもわかりにくい。その上その状態をキープするというのは至難の技、良くも悪くもどこかしらに収まってくるもの。そうなると 「アート」だということ自体に矛盾を感じる。
その昔大先輩に「お前に立つ瀬なんてねぇんだよ」といい捨てられたことがある。オルタナティブでアートな環境で育ってしまった私が、どんなに相反するような価値観にでも一定の共感を示すくせに、いちいち反発する様子を見て放たれた喝だった。その時の私は特別悪いことをしたわけでもなく「拠って立つ処がない」といった方が正解だった気もする。それがトラウマになったということもないけれど、未だどこにいてもアウェー感が拭えない。最近ではホームなはずのblanClassにいてさえ、浮いている気がする。
普通に考えたら、どんな活動でも、活動を進めていくうち、成熟というのか、主流になっていきたいと思うべきなのかもしれない。でも私の場合、どうしたってオルタナティブであり続けたいと願ってしまう。それって、確かに拠って立つ処が得られないということ。もうひとつというより、幼い選択なのかもしれない。
それでもどこかに収まることで、いろいろなものが失われてしまうことに納得がいかない。結局は10年を機に思い切ってリセットすることにした。そのリセットは「これでお終い」ではなく、これまで担った役割とは違うなにかの始まりであればと願っている。
小林晴夫(2019.8-9 チラシ掲載)
コミュニティに代わるもの(2019_6-7)
先日、あるアーティストと話していたら、「ブランクラスはコミュニティだと思っていた」といわれた。そういえば、以前から何人かのアーティストに同じような問いかけや指摘をされたことがあるのだけれど、私としてはblanClass の活動を「コミュニティ」だと思ったことはない。
あるいは、私自身が集団に帰属することが苦手すぎるので、目の前に「コミュニティ」なるものが現れたら、一目散に逃げてしまうかもしれない。
もちろんみんながいっている「コミュニティ」というのが、旧来の村的な「コミュニティ」を意味するわけではなく、もう少し軽いつながりのことを指しているのはわかっているし、人が集まる「場」をつくることを意識して運営をしてきたので、ここからコミュニティ的なつながりが生まれてくることに抵抗があるわけではないのだが、単一の「コミュニティ」が生まれることを望んでいたわけでもない。
blanClass は、アートに限らず、形式やジャンルがどんどん細分化され、共有できるはずの問題意識が、それぞれのセクトを超えて擦り合わされず、すれ違ってしまっていることへの危機感から、いろいろなバックグラウンドを持った人々が、まざり合ったら良いと思って運営してきた。だから、どちらかというと同時多発にいくつもの関係が生まれるようなイメージを持っていた。それはネット上にいる「管理人」的役割に近いイメージ。そこに私が介入してはいけないのでは?とさえ思ってきた。そのせいで、そっけない態度に見えることもあっただろうし、側から見ると閉じているように見えたかもしれない。
blanClass で起こった、答えが見えないような問題に対して、アーティストたちの作品には至らない、しかし切実な試みのことを「友達以上、作品未満」と表現したことがあった。「作品未満」というところに比重を置いたフレーズだったが、ダジャレのように手前に置いた「友達以上」にも、馴れ合いではない大人の関係への期待が込められていた。
現実の「場」はとても小さくて、どこからも近いところではないので、blanClass が当初理想としていた「場」になったかどうか、未だはっきりとはしないけれど、その時々に確かに個人と個人のやり取りはあった。その意味においは、思っている以上に面白いことが起こっていたような気もする。そんな「コミュニティ」には決して回収され得ない、個人に根ざしたそれぞれの関係は、これからもきっとそれぞれに一人歩きしていくと思う。
小林晴夫(2019.6-7 チラシ掲載)
+night(2019_4-5)
前回のチラシに、今年10月でblanClassの活動が10周年を迎えるにあたり、現在行っているプログラムの全てを 10月いっぱいで一旦休業するという内容の文章を寄せました。SNSにリンクも貼ったので、わずかな反応もあったものの、周知徹底とはいかず、まだまだ知らない人がたくさんいるようなので、年度が変わるタイミングで、あらためて告知をするつもりです。
休業まで残り8ヶ月。あまり時間がないことに気がつき、少しばかり焦ってきました。この8か月の間になにかできることはないかと、まず思いついたのが、このチラシに久しぶりに「+night」のロゴを入れてみることでした。
「+night」とは、初期メンバーだった波多野康介くんが命名。2009年から2011年までつかっていた週末イベントの呼称。ロゴのデザインは浅野豪くん。当時のチラシにも大きくタイトルとして配置していたものです。
2011年にBankART主催の「新・港村」というプログラムに3ヶ月出張をした折、建築やデザインを専門にしたチームに囲まれ、あまりにもわかりづらいと感じて、イベント名に「Live Art & Archive」をつけ足すことにしました。 翌年1月にはイベント名を完全に「Live Art」と改名したので、以来「+night」は封印していたのですが、初志を 思い出すために、チラシの上だけで復活させることにしました。
ほかにも動画の番組「blanClass放送室」で、これまでの活動を振り返った番組を考えているところですが、9月までのLive Artはつとめて通常通りに運営していきます。10月に入ってからいくつか10周年を記念して関連のイベントを計画中。そして、10月最後の土曜日のイベントはステューデントアートマラソンvol.15です。このチラシから参加者の募集もスタートします。それがとりあえずのフィナーレになります。
「Live Art & Archive」の「Live Art」の方は10月から休業に入りますが、「Archive」はWeb上で継続していくつもりです。その後、Web上で「Archive」だけではない発信ができると良いのですが、それはまた先の話…。
矢も盾もたまらず(2019_2-3)
今年の2月も昨年同様、TPAMフリンジに参加します。TPAMフリンジはTPAM(国際舞台芸術ミーティング)の公式な公演とは別に、東京や横浜にあるスペースや活動を紹介するプログラムです。
タイトルは「blanClass Anthology #4 on TPAM Fringe 2019」、日頃からblanClassを実験場として、思考と試行を展開している2組のアーティスト、高山玲子と眞島竜男をお招きしました。
去年に引き続き出演する高山玲子は「ハイツ高山」というタイトルで、全部で4日間の公演を行う。それぞれの日程で公演時間が長いのでびっくりするかもしれませんが、出入りは自由で、どのタイミングで来てもなにかしらの上演に立ち会えるという仕掛けの演劇作品です。
眞島竜男は一昨年の12月にblanClassで発表した「山と群衆(大観とレニ)/四つの検討」の再演。再演といってもTPAMフリンジ参加作品ということもあって、劇中のテキストを翻訳して英字幕つきのTPAM 2019 versionを2日間で3回公演を行う予定です。
TPAM期間中はいつもとは違うお客さんがやってきたり、いろいろな言語が飛び交ったりするので、少しだけ雰囲気が変わります。ぜひそんな化学変化もお楽しみください。
さて、今年はblanClass10年目の年。10月に10周年を迎えるのだが、それを機になにをしようか? と考え、あれこれと悩でいたら、ふと「休みたい」との思いがフツフツと湧き上がってきて、どうにも止まらなくなりました。
そこで、10月いっぱいで、現在行っているプログラムの全てを一旦休業することにしました。それに先立ち、月イチセッション、特別セッションを3月いっぱいで終了することにします。昨年中にcomos-tvが終了。3月にはナノスクールとアートでナイトが最終回を迎えます。セッションを担当してくださった方々にも、長年参加してくださっていた方々にも、大変ご迷惑をおかけしてしまいますが、どうぞわがままをお許しください。
疲れてしまったのも理由のひとつなので、それをどうポジティブに表現したら良いか悩ましいところなのですが、同時に変化の年にしたいというのも本音なのです。もちろん同じプログラムを継続しながら並行して改革が進んでいくのが理想なのでしょうが、どうもうまくいかきません。
この文章のタイトルを「矢も盾もたまらず」にしたのは、せめて「休業」が「改革」を生み出すような選択だと言いたかったからです。
具体的に今後blanClassがどんな展開ができるのかは、わからないのですが、とりあえずゆっくり考えようと思います。
小林晴夫(2019.2-3 チラシ掲載)
ジャンプする(2019_1)
「平成最後の年」として大騒ぎしていたくせに、まだ平成31年が4ヶ月間もあるというのが、なんとも拍子抜けする。
子供のころから、日付を書かなければいけない場面で、元号を使うのが嫌いで、仕事をするようになってからは、フライヤーでも要項でも、公的な書類にでも、でき得る限り西暦表記を心がけてきたので、元号が変わること自体には、なんの感慨もないけれど、あらためてこの30年間を思い返してみると、月並みかもしれないが、デジタル技術の急速な発展と共にあったなと思う。
自分のことを振り返ってみても、必ずしも得意でなかっただけにデジタル端末との格闘の30年間だった。インターネットが普及し始めたころから、うまくネット環境を使おうと必死だったのを思い出す。最初のころはお金もかかったし、なにをするにも時間がかかって大変だった。それがblanClassを始めた2009年当時には、スマホが登場し、SNSが爆発。誰もが発信者になって、ムービーをポケットに入れて持ち歩ける時代になった。
その状況がblanClass設立の原動力になり、当時の紹介文には、自分たちのことを「超記録集団」と呼んで、はじめの3年間ぐらいは、ほとんどすべてのイベントをUSTで垂れ流していた。だから意識的にも無意識レベルでも、ここ10年の流れのなかにどっぷり浸かって生きてきた。
ネット上のメディアに限らず、最近の文化の主流はSNS対応型の運営を強いられているようで、いろいろなものが細切れの時間売りになっている気がする。そういうblanClassだって例外ではない。結果的にカタログ的な運営をしてしまったかもしれない。
歴史のようなものに飲み込まれてしまわないようにアーカイブに力を注いできたのだが、一過性の情報群に埋没してしまっては元も子もないので、その状況を打破すべく、また違う試みを考えなければいけないのだろう。
2019年はblanClassも10年の年。亥年は永田町界隈では激動の年と呼ばれているらしいが、blanClassにとっても変化の年にしたい。
というか、ちょっとだけジャンプしようかな?
小林晴夫(2019.1 チラシ掲載)
blanClass + portfolio(2018)
昨年はとうとうポートフォリオをつくれなかった。でもポートフォリオに寄せるつ持ちで文章だけは書いたので、やはり今年もポートフォリオに寄せるつもりで、この1年を振り返ってみようと思う。
今年も昨年同様、新年は「ヤミ市」イベントからスタートした。企画は吉田和貴&cat’s heaven…! 。焼土と化した場所から湧いて上がるように立ち上がったヤミ市のイメージに「自由」というたくましさを重ねたイベント。アート的な大喜利の場ではなく、文字通りのフリーマーケット。テキトーなものを並べても、ちゃんと売り買いが生まれていくのが面白い。
一昨年から継続していた、野本直輝企画の「シリーズ〇〇のかたちを探す」、1月のゲストは、黒坂祐「やめることでおきる」。3月に行った尾崎藍「はなす方法をかえてみる」で一旦完結、4月からは野本企画による新シリーズ、SakSakが始まった。「誰かが発する表現を手掛かりに、その先を一緒に考えながら、その思考を交換することができる場の可能性を模索します。そのために取り敢えず、粗くてもろい、隙間だらけの場を想像してみる。」とは、野本によるシリーズの説明文。最初のシリーズ「〇〇を探す」は。この「〇〇」に、作家が抱える問題や概念を当てはまて考えていくイベントだったが、「SakSak」は「〇〇」のように同じ響きが連なって、そこにとどまるわけでもなくサクサクと進んでいくイメージなのかもしれない。これまでのゲストとお題は4月が小山友也「交換や拾得」5月が加藤果琳「動く二枚の板に挟まれたビー玉のような出来事について2」、6月がメランカオリ「星々を震撼させるものたちの語らい」、7月が田村香織「いれものについて」、9月が吉田裕亮「ルドヴィコ療法的診断〈カルテをとる〉」、10月が奥 誠之「ドゥーワップに悲しみをみる / 答えて!イエス or ノー」、11月が渡辺志桜里「mass」、12月が村田紗樹「名で触る」となっている。
2月には1年振りとなるTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2018)にフリンジ参加をした。blanClassの自主公演「blanClass Anthology #3」として、高山玲子「ゴーストライター」、Whales + けのび「予兆 名絵画探偵 3」、前後(高嶋晋一+No Collective+神村恵) 「Post Future Perfect(未来完了以後)」という、blanClassを実験場として、思考と試行を展開している3組のアーティストをお呼びした。TPAMに参加するということは、海外からもお客さんが来場するので、本番でもそれぞれ英語の対訳に苦戦したが、初めて英語版でblanClassの紹介用リーフレットもつくった。
今年の通常Live Artのラインナップは、藤井 光+安岐理加、水田紗弥子、末永史尚、中川周、柳生二千翔、始末をかくレプレゼンテーションズ(皆藤将、カゲヤマ気象台、岸井大輔、小宮麻吏奈、武久絵里、渡並 航、松田るみ、村田紗樹、遠藤みなみ、鈴木千尋、辻村優子、橋本匠、山内健司、山田カイル)、良知暁、中村達哉、平田守、鈴木悠子、長屋涼香、武藤大祐、たくみちゃん、奥村友規や近藤拓丸、高山玲子、KOTOBUKI meeting+CAMP、坂本悠、藤原ちから+住吉山実里、岩田浩、関川航平、沼下桂子(阿部大介、迫鉄平)、荒木悠、L PACK.(小田桐奨、中嶋哲矢)+西野正将+森田浩彰、ヤング荘(津山勇、安野洋祐、北風総貴)。今年はblanClassで始まった「始末をかく」がほぼ最終の上演(実際にはもう一回都内で上演をした)、L PACK.が3年振り、ヤング荘が8年振りと、久しぶりの出演が目立った。また末永史尚、中川周、武藤大祐など、若手だけではない初登場のアーティストもいて、それぞれに意欲的な実験をしてくれた。
昨年に1度ステューデントアートマラソンを解体して、1日に3組ぐらいのイベントを何回か連鎖して、などと考えたこともあったのだが、CSLABの小山友也くんに、blanClassのステューデントイベントで始まった交流は手堅いという指摘を受けて、継続して募集することにした。今回は7組のステューデンツが参加。蓋を開けてみると、思った以上に、一つ一つの試みが面白くてびっくりした。
月イチセッションは、昨年4月から1年間お休みしていた杉田敦ナノスクールが4月に第5期として再開した。また昨年2月から継続していたcomos-tv(藤井光、粟田大輔、水田紗弥子、井上文雄、青山真也、原田晋ほか)は公開配信イベントをお休みして、代わりに1月~4月までが「公開ミーティング」、5月~12月が「studies」というシリーズを展開した。残念ながらcomos-tvのblanClassでのイベントは12月が最終となった。
今年は週イチセッションは開催しなかったが、昨年行った、沖啓介「ARTCOG (Artistic Cognification)プロジェクト|空想科学Science Fictionと科学現実Science Factで越境する未来」の参加者による発表会を1月に「電子書籍’artCOG’発行記念イベント」として行った。
昨年から不定期に開催している特別セッションでは、藤原ちから(BricolaQ)港の探偵団が横浜を離れ東京に挑むためにblanClassで「東京を遊んでみる」というイベントを2回行ったのち、実際に東京でイベントを行った(この東京でのイベントにはblanClassは直接関わっていない)。笠原恵実子+中村寛で進めてきたシリーズが「覇権主義と美学ーインディアン同化政策とアメリカ現代美術」というオープンディスカッションを2回、笠原恵実子アートでナイトが7月に「After Richard Serra」、11月に「Absent Statue|不在の彫像」の2回セッションを行った。
特別セッションという枠にも入れず、ほぼ隔月ペースで日曜の午後にのんびりと開催してきたASSEMBLIES(後藤桜子/吉田和貴/村上滋郎 ほか)は、回数を重ねるごとに、少しずつではあるけれど変化してきて、いろいろな人たちが、日頃、いろいろと考えを巡らせている中で、ふと組み上がってしまった、一塊のアイデアを持ち寄って、ゆるゆると、でもそれだけに濃密な対話の場になってきた。それが、年末のスペシャルイベントにつながり、プレゼンター8名の発表とディスカッションのイベントだったはずが、さらなる飛び込みプレゼンターが続々と現れ大盛況のイベントになった。
セッションとは別に昨年から「農園クラブ」と「TEC系工作クラブ」の2つのクラブ活動を試みてきた。「農園クラブ」は隔月CAMPの「blanClass農園化計画」と連動しながら進めてきたのだが、特に夏の猛烈な暑さの中で実感してきたことは、農作業って、どんな規模のものでも365日べったり野菜と付き合うことなのだということ。正直心身ともに疲れてしまって、12月で一旦お休みすることにした。もしまたなにかの形で再開をするとしたら、改善点はたくさんある。もう1つの「TEC系工作クラブ」の方も、遅々として進まず、少しだけ工作室の工事が進んだくらい。でも2つのクラブ運営での成果は、実は渡邉曜くんに助けてもらって進めている改修工事。秋には電気工事のスペシャリスト、ミルク倉庫の坂川弘太さんにきてもらって、少しだけ電気工事もした。クラブ活動の運営は、いろいろと難題が多く、今後の継続が危ぶまれるところだが、もっと足元というか、改修工事をDIYしていると、実に考えることが多くて、そこからまたなにかが立ち上がらないかを期待しつつ、工事は続けていこうと思っている。
今年はスーパー台風と塩害(一晩で野菜は溶けてしまった)もすごかったが、最も忘れられないのは、あの夏のとんでもない暑さ。屋外で作業に没頭して、意識が飛ぶのか、あっという間に時間が過ぎてしまい、熱中症ギリギリなことが何度もあった。また今年は平成最後というキーワードで、この30年を振り返ることがメディアを賑わしていたが、この30年はデジタル化の波と災害の波とがものすごい勢いで生活圏にまで押し寄せてきたと感じる。そんな現状で、この後の30年はおろか5年先のためにもなんの準備もできていないような気持ちに襲われて、どうしようもなく不安になる。そろそろ、また次のなにかのために、なにかの準備を始めなければとの思いだけは募って、途方にくれている。
小林晴夫(2018.12.31)
約束と約束事(2018_11-12)
12月のゲスト、L PACK. は3年ぶりの出演。3年ぶりに呼んだのには理由があって、そういう約束になっているから。
L PACK. の小田桐奨と中嶋哲矢のお2人は、blanClass 創設当時から、近くの黄金町でお店を出していて、その当時のスタッフとも親しかったことから、2009年に出演をしてくれた数少ないアーティスト。ということもあって、3周年記念イベントでお呼びすることになり、その時はほぼ1 週間、小田桐くんが住む形になり、そこへ中嶋くんが通ってきて、それまでに溜まったblanClass のアーカイブから勝手に再演をしていくという、コーヒ付きのイベントをしたのだが、その折に、「また来てね」とお願いしたところ、「じゃあ、3年に一度に来ます」ということになり、それを真に受けて、3年経つたびに連絡をしているのだ。最近、横浜に戻ってきて、新たに「DAILY SUPPLY SSS」というお店をスタートしたばかりなので、ちょうど良いタイミングになった。
もう1組12月のゲスト、ヤング荘はもっと久しぶりの出演。
ヤング荘は津山勇、安野洋祐、北風総貴の3 人で結成したユニットで、2010 年にその3 人のパフォーマンスをしてもらって以来、2 回目のソロ出演なのだが、何度か新年のイベントに年賀状と干支をテーマにした映像作品の上映をしてもらったことがある。当初より干支が一周(12 年)したら発表すると言っていた年賀状のシリーズが一周し、次のターンに入り、今年4月に晴れて「十二支超」というタイトルの展覧会が行われた。
なんだか他人事なのにホッとして、呼ぶことにしたのだけれど、ここまで間が空いてしまったのは、シリーズが完結するまで、暗に待っていたからかもしれない。
今回イベントでは、紹介文に「約束事について考えてます。」とあるので、もしかするとまたしても新たに長期の約束事が生まれるのかもしれないと思うと、ちょっと怖い。
今では副業も奨励されて、社会全体が終身雇用の世の中から大きく舵を切ろうとしているが、少し前まで、自分の人生の大半のことを十代、二十代には早々と決定してしまうのが当たり前だったころは、一度してしまった約束は、今以上に拘束力があったに違いない。いやいや今だって、ブラック企業を辞めることができず、自ら命を絶ってしまう人もいるのだから、そう易々と価値観が変わるものでもないようだ。
だから約束にしても約束事にしても、とても怖い。その約束や約束事に縛られてしまうからだ。
そんなわけで、普段からできるだけ約束をしないよう、心がけてはいるのだが、だからといって約束せずにはいられない。なぜならば、blanClass なんて、約束をして、それを実行することでしか成り立っていないからだ。
いろいろな価値観、ルール、思想や正義なんかとも距離をとりつつ、しっかりとした書類を交わすのでもなく、クォリティーの高い仕事を目指すのも諦めて、ほとんどなにもしていないけれど、テキトーにした「約束」をテキトーに守ることが、唯一、blanClass のクリエイティビティーだと思っているところがある。
果たせなかったり、破ってしまった「約束」がなかったわけでもないが、それなりに正直に小さな約束をぽちぽちと守りながらblaClass を続けている。
小林晴夫(2018.11-12 チラシ掲載)
当てずっぽうな実験(2018_9-10)
昨年からblanClassではじめたTEC工作クラブの活動の延長で、クラブのメンバーと一緒にMaker Fair Tokyo 2018を見に行ってきた。Maker Fairは、テクノロジー系DIY工作を実践している大小さまざまなコミュニティが 一堂に会するお祭り。(もともとはアメリカのMakeという雑誌が発端のムーブメントで、日本でもMake: Japanが雑誌や書籍の運営をしている)。Make Fairが面白いのは、出展者が必ずしもテクノロジー系ばかりではなく、Makeが提唱するDIY精神に引っかかるものなら、趣味のレベルから大企業の開発事業までが、それぞれの思惑で、参加していること。
今年は昨年よりも個人や小さなコミュニティの参加が目立っていたように思う。その中でも、半田付けをしないと音が出ないシンセサイザーだったり、指からスキャンした心拍のリズムを正確に再現できる電球だったり、味噌汁の匂いと包丁のトントンする音で目覚めるためにほぼ実物が稼働する目覚ましアラームなどのような、ちょっとしたアイデアを実現したものや、一見、なんの役にも立たないものをつくっている人たちが気になってしまった。
おもしろ工作は、いわゆるアイデア商品みたいなものになって、簡単に消費されてしまうことも多いだろうが、目的を決めずにとりあえずはじめてしまう、その姿勢自体がとてもおもしろい。
そういえば、昨年のMaker Fairで山口情報芸術センターのバイオリサーチというプロジェクトが出展していたのだが、会場にいた学芸員の方に、「バイオアート」を目指しているのですか? と聞いたところ、プロジェクトを立ち上げたのは、バイオテクノロジー関係の機材のデジタル化が加速して価格破壊を起こしている現状で、現実的に「できる」ということに気がついて、まずはバイオテクノロジー関係の機材を館内に設置したのだという。活動の主な内容は、それらの機材を使って、ひたすらバイオリサーチをしていくことらしい。
今まさに長年の研究が結実した成果というのも、面白いトピックなのだろうが、どうしても、どこに向かうのかわからない、当てずっぽうな実験みたいなことに興味を惹かれる。
blanClassのLive Artでアーティストたちが、繰り広げている発表も、ある意味で「当てずっぽうな実験」のようなもの。うまく展開して外にあるどこかのフィールドに着地していく試みもあれば、それだけでは、なんのことやらよくわからない試みもあるだろう。まずはとりあえずやってみることができる「場」であることが肝心だったのだ。
最近では農園クラブとTEC工作クラブの活動も加わって、blanClass自体の行く末もどこに向かっているのかがわからないような状態に突入しているようで、混乱しつつ、ちょっと先にやるべきことがなんなのかを考えているところ。
小林晴夫(2018.9-10 チラシ掲載)
ことばとからだの間で考えること(2018_6-7)
ここのところ、blanClass の周辺で、ことばとからだの接続を一から見直すようなパフォーマティブな作品が気になっている。
例えば関川航平の説明ともラップとも異なるようなことばを喋り、からだがそこに絶え間なく対応していくようなパフォーマンス、たくみちゃんのことばの音の響きや書が持っていることばの形などを基軸に怒涛のように溢れ出していく饒舌なからだの動き、関真奈美がチャレンジする、ごく基本的なからだの動作を、超アナログな方法でプログラミングしたことばとして動作する人に伝達、そこで収集された情報はオペレーターに戻り、目的を達成していく試み、中村達哉はカミュの小説「最初の人間」の全文を書き写すところから、拾い上げられた描写を基に、踊りに変換するダンスワークなどなど…。
実際に出てきた作品が語っていることは、抽象度が高いので、そのことばとからだの関係が、こなれた先に、どんな内容を語り出してくれるのかは、まだ未知数だけれど、今なぜ、そんなところからつくり直さなければならないのか? 作家たちのモチベーションが気になる。
blanClass を始めてから10 年足らず、政治的な問題や社会的な課題にできるだけ近づいてアプローチしたり、目の前の状況に悶えながらも、足踏みしながらでも考える姿勢を示すような表現に多く触れてきた。
その延長なのか、あるいは反動なのか、ここにきて、ことばにならないような経験を掘り起こしては、極めて抽象的なものに変換していくような態度が多く現れてきているように思う。その中にこうした、ことばとからだの接続を一から見直すような作品や作家がちらほらいる。
最近、東大中央食堂に飾られていた宇佐美圭司氏の手による壁画が処分されてしまった件が、ツイッターなどを賑わしていたので、彼が描くべき「身体」を獲得した、その経緯を思い出した。
経緯とは、宇佐美氏が若かりし頃、真っ白のキャンバスに向かううち、なにを描いて良いか途方に暮れ、彼の言葉によると「失画症」に陥り、それでも画布と格闘する中、ふと筆を握る自らの右手を見出し、右肩から筆を握る右手までを描く対象として獲得したという話。その後、ベトナムから死体袋に入って、戦死者のボディーが日本を通過している事実を新聞の記事で見つけて以来、見えざる身体、その意味上のネットワークが彼の生涯のテーマになり、身体を描く根拠にもなっていく。それは宇佐美氏が作り上げた特殊な言語だったかもしれないが、今回の事件を知って、一度は機能したであろう言語が、風化してしまうその瞬間に立ち会ったような気がして、なんとも言えない気持ちになった。
その宇佐美氏の身体の再発見と描くことの意味の符号と、前述のことばとからだの新しい関係づくりが、重なっているような気がしてきた。そもそもプライベートでもパブリックでも、そこに置かれたからだは「政治性」や「社会性」をすでに持っているはずなのに、それぞれのからだの形をことばに区別するときに、使われることばが足りていないように感じるのだ。特殊なことばがはどんどん風化して、一般化していくことばは、原型をとどめないぐらい、どんどん紋切り型になっていく。
あからさまな束縛や拘束ではないにしろ、なかなか自由な振る舞いができず、ことばやからだが窮屈になってしまっているのが、現状のポピュリズムの本質という気がするのだが、どうだろう?
現在進行形で生成されている新たな特殊な言語が、逃げ場としての抽象行為にとどまらず、より自由で豊かなことばとからだの関係を獲得した後には、「私」に縛られている「表現」の可能性をもう少し開いた形に置き直して、さらなる自由を獲得して欲しい。
小林晴夫(2018.6-7 チラシ掲載)
「今までしてきた良いこと」にだって問題がある(2018_4-5)
「アート」や「表現」というのは、どちらかというと、個人の「自由」のために戦ってきた感が強い。100年ぐらい前は、多くの人々が抗えない力に屈していたのだから、当然といえば当然。もちろん「表現」に限らず、いろいろな権利が「自由」のもとに拡張されてきた。それから100年経った、現在の私たちにとっての「自由」の意味ってなんだろう? 「個」や「国」に完結した欲望や目的の達成によって測られるような「自由」は、多くの他者が等しく幸福になることと矛盾を引き起こしてしまう。それは「表現」も同じ。個人が強く主張すれば、それを受け取る他者にとって、その「表現」がいかなるものなのかが問われてしまう。
一方で、多くの人にとっての正しさを探せば、ポピュリズムに陥ったり、目先の利益に振り回されたり、逆にコントロールされた答えに偏ったり…、「自由主義」と「民主主義」はあまり相性が良くないはずなのに、いろいろなところでバランスをとらざるを得ないから、「忖度」ではないけれど、よくわからない基準で、いろいろなことが決定されていくようだ。
では今日の私たちの営みのなかにある「自由」とは、どういうものなのだろう? あるいは現実的に世のため人のためになるとは、どういうことのなのだろう? 特に「アート」とというとても曖昧な概念を前提に「表現」を考えると、その両者で、優柔不断に陥ってしまう。そもそも今後の文化が担う役割がどんなものか、ぼんやりして、はっきりしない。
あるいは「自由主義」と「民主主義」に分けない、別の考え方が必要なのかもしれない。
そのためには「今までしてきた悪いこと」だけを改めるのではなく、「今までしてきた良いこと」だって改めていくべきだろう。
例えば、表現の教育では「自分のため」というのが大前提だったけれど、「他人のため」に表現があったって、なんら問題はないはず。その時代に良かれと発言された徳の高い言葉に傷ついて潰えていった表現も数知れず。改めるべきことは、その「良いこと」の方にだってたくさんあるのだ。
という私だって、なぜだか芸術を学んでしまって、学んだことをないことにもできず、ジレンマに苦しんでいるのだが、
悔やんでばかりでもしょうがないので、なぜだか「芸術」を学んだのに、現状に放り出されている人たちと一緒に、つくったり、みせたり、試したり、話し合いながら、ひとつひとつ考える「場」としてblanClassを運営してきたつもり。そのblanClassだって「今までしてきた良いこと」をそろそろ改変しなければなぁと思っているところ。
小林晴夫(2018.4-5 チラシ掲載)
blanClass Anthology #3 on TPAM Fringe 2018(2018_2-3)
今年2月は、TPAMフリンジに参加することになった。TPAMフリンジとはTPAM(国際舞台芸術ミーティング)の公式な公演とは別に、東京や横浜にあるスペースや活動を紹介するというプログラム。以前、TPAMショーケースだったころに2回ほど参加したことがあり、2年ぶりの参加になる。
そして今回の内容は、日頃からblanClassを実験場として、思考と試行を展開している3組のアーティスト、高山玲子、Whales + けのび、前後(高嶋晋一+No Collective+神村恵)をお招きし、TPAM開催期間中の10日間にギュッと押し込む形になっている。
TPAMフリンジに参加するにあたって、どのチームもそれぞれにさらなる実験、また新たなコラボレーションにも挑戦しているので、これまでにないなにかが見られる機会になるはず。
そもそもblanClassを始めた当初、ドンドン分裂と増殖を繰り返すジャンル天国な状況を目の前に、増えすぎたジャンル同士が少しでも混ざったり、これまでにないようなつながりが生まれたら面白いと思っていた。しかし当たり前のことなのだが、ジャンル化が進むのにも訳があるようで、そう簡単にはつながってくれない。接続するためには、また別に必然性が必要ということなのだろう。
それでも続けていくうちに、美術系ばかりに偏っていた出演者の中にダンス系、演劇系がちらほらと増えて、その比率も年々変化している。その流れの中で、ジャンルを飛び越えて、交流するアーティスト同士の実験もいろいろと起こってきたように思う。今回の3組がトライしているコラボレーションを見ても、単なる役割分担ではない、それぞれのアーティストがベースにしてきたジャンルや形式を踏まえての実験なので、アーティストサイドには、つながっていく必然性も生まれているはず。
あとは観客サイドの認識からも、ジャンルとか形式のような箍(たが)が、もっともっと外れて欲しいと願っている。
小林晴夫(2018.2-3 チラシ掲載)
Do It With Othersで行きます。(2018_1)
Do It With Othersで行きます。(2018_1)
2018年も一発目は、昨年同様キャッツヘブン企画「ヤミ市」でスタートする。
昨年は「ヤミ市」を皮切りに、制度から少しぐらいはみ出してでも、DIY精神で、なんでも自分でやってしまおうと考えて、展覧会にお邪魔したり、「農園クラブ」と「TEC系工作クラブ」などのクラブ活動を始めたりと、コツコツと勝手なことをしてきた。
DIYはとても良いコンセプトだし、とてもわかりやすいので、ずっと前から心がけてきたけれど、どうしても自立心を自らに課してしまって、一人で悩んでは、いろいろなことが遅々として進まないことも多かった。
それに、勝手といったって、「自分勝手」は良くないだろう。どんなに正しいことでも、そこにある状況を正確に読み込み、そこにいる人たちが考えていることや求めていることをちゃんと話し合ってみないと、トンチンカンな結果を生み出すことになる。
だから、今年こそはDIY改め、DIWO(Do It With Others)で行こうと思う。
「DIWO(Do It With Others)」というのは、一人でできないことも、いろいろな人たちとのつながりの中でクリアし、「自分だけ」ではなく、「みんなでやってみる」というスローガン。そうすれば個人の心も少し軽くなるし、逆に自分に課したことも他人を意識することで、やり遂げやすくなるかもしれない。
いうほどは簡単なことではないだろうが、ベタベタしたつながりを拒んでいたら、いつの間に、つながりたくてもつながり方がわからないような社会になってしまったので、新たなつながりを求めつつ、すでにつながっている人たちと一緒にすぐにでもできることを、またコツコツやってみようと思う。
小林晴夫(2018.1 チラシ掲載)
blanClass + portfolio(2017)
毎年参加してきたファイル展、art & river bankの「depositors meeting」が、今年はなかったから、どうしようかと思ったのだが、毎年やってきたことなので、今年もポートフォリオを引き続きつくろうと思う。そのポートフォリオにやはり毎年寄せていた文章のつもりで、今年もこの1年を振り返ってみようと思う。
今年の新年パーティーの企画を吉田和貴にお願いしたところ、cat’s heaven…! (猫天国?)というプロジェクトの展開として新年から「ヤミ市」を開催した。猫天国というのは、犬死せしものについて考える姿勢に対して、例えば戦後を強かに生きぬいた図太さの象徴のようなネーミングだそうで、blanClassの勝手にやる精神にも通じるものがある。テキトーにあるものを売ったり買ったりしながらワイワイ楽しく2017年がスタートした。
昨年に引き続き「岸井戯曲を上演する。」の#5から#11が上演され、榎本浩子/大川原脩平/萩原雄太/鷲尾蓉子/二十二会(渡辺美帆子/遠藤麻衣)/及川菜摘/武田 力/和田唯奈/河口 遥/小宮麻吏奈/田上 碧/根本卓也/森 麻奈美/眞島竜男/二十二会/西尾佳織/佐藤 悠/山田宏平/大石将弘/寒川晶子/岸本昌也/田口アヤコ/荻原永璃/小島夏葵/鈴木千尋/住吉山実里/辻村優子/山内健司…と、たくさんのアーティストが参加、岸井戯曲の演出と上演に挑戦した。また、全シリーズを通して描き続けた今井新作の漫画は単行本になって、blanClassの受付でも売っている。シリーズが終わった後に、総集編として、総合司会を務めた佐藤朋子のディレクションで、上演ではなく展覧会を開催した。
もう1つ昨年から継続したのは、野本直輝企画の「シリーズ 〇〇のかたちを探す」。今年のゲストとお題は、藤井龍が「あきらめ」、青柳菜摘が「物語」、加藤果琳が「隙間」、中村大地が「忘れること」だった。ちなみにこのシリーズは来年3月で完結する予定。
月イチセッションは、2012年に拡張計画として、月1企画を始めた当初から続いてきた、杉田敦ナノスクールと、CAMPの月1イベントだったが、杉田敦は4月からリスボンなので、3月のナノスクール「出国手続き」というイベントで、一旦休講中。CAMP月イチシリーズも1月を最後に休講中。代わりというわけでもないが、2月からcomos-tv(藤井光、粟田大輔、水田紗弥子、井上文雄、青山真也、原田晋ほか)の公開配信イベント「インタビューズ」が始まり、蔵屋美香、田坂博子、山城知佳子、遠藤水城、gnck、長谷川新、成相肇などのゲストを招いた。CAMPは月イチはお休み中だが、土曜日のLive Art枠での隔月シリーズは続行中で、4月に行った「春の終わりの上映会|川上幸之介×田中良佑」は盛況であった。
週イチセッションは、週1回のペースで全10回~12回、3ヶ月完結にして、参加者たちによる発表を前提にしたセッションだが、今年は前後(神村恵、高嶋晋一)[固有時との会議]と沖 啓介[ARTCOG (Artistic Cognification)プロジェクト|空想科学Science Fictionと科学現実Science Factで越境する未来]の2つのセッションを行い、前後のセッションの発表は3月に行った。ARTCOGの発表は、来年1月に行う予定。
ほかに不定期に特別セッションを開催したのは今年の特徴の1つかもしれない、開催したのは、「ポピュリズムの時代と美学|アメリカという傷口からの考察」(笠原恵実子+中村寛+小林晴夫)や「思考の交点としてのdocumenta」(井上文雄/大舘奈津子/笠原恵実子/進行:良知暁)など、7月からは不定期ながらもシリーズ化している、藤原ちから(BricolaQ)港の探偵団とASSEMBLIES(後藤桜子/吉田和貴/村上滋郎 ほか)が始まった。
7月からは、新たな試みとしてblanClassで2つのクラブ活動を始めた。1つは「農園クラブ」。これは隔月CAMPの「blanClass農園化計画」というイベントで生まれた。以降、月に1回のペースで集まり、これまでにサカタのタネで苗や種を買って野菜を育てたり、クラフトビール、味噌、豆腐づくりなどに挑戦しては収穫祭をしている。もう1つは「TEC系工作クラブ」。これは高橋永二郎を中心に、なんでもDIY、DIWOをして自分たちで勉強しながら工作やプログラミングを学んでいこうというクラブ。どちらのクラブも始まったばかりでヨチヨチ歩きな感じだが、じっくりと継続していきたい試みだ。
さてさて、今年一番の出来事といえば、やはり「引込線2017|美術家と批評家による 第6回|自主企画展」(8月26日- 9月24日)に「blanClass@引込線2017」として出張したこと。これまでにもblanClassは、2011年にBankArt企画の「新港村」や、2013年に森美術館のクロッシングへの出張をしたことがあったが、今回も一応自前のルール通り、横浜のblanClassは閉めてほぼ完全出張をした。展覧会の中に全く別のディレクションで入れ子状に、12組15名(小山友也/村田紗樹/阪中隆文/野本直輝/加藤果琳/関 真奈美/おしゃべりスポット実行委員会(奥 誠之/宮澤 響/橋場佑太郎)/うらあやか/関川航平/岡本大河+宮川知宙/及川菜摘/吉田裕亮)のアーティストを呼ぶという方法をとり、さらに「引込線」と同じようなアーティストの集め方を意識して、私から小山友也、村田紗樹、野本直輝、関真奈美、宮澤響、関川航平、宮川知宙の7人に声をかけ、一人で何かやっても良いし、さらに企画をして、誰かを呼んでも良いと言ったところ、そのうちの小山友也が、野本直輝、宮澤響、宮川知宙の4人が、さらに小山が及川菜摘、吉田裕亮を、野本が阪中隆文、加藤果琳、うらあやかを、宮澤が奥 誠之、橋場佑太郎を、宮川が岡本大河をゲストに呼ぶという…、見る人から見るととてもややこしいことになったかもしれない。
このほかに、引込線では引込線2017 サテライト会場で、隔月CAMPを、ゼミナール給食センターでは「セクシュアルマイノリティを考える会」(高山真衣/齋藤哲也)をそれぞれ、blanClassから紹介し、共同企画で行った。また、これは参加するにあたり、最初から考えていたことなのだが、引込線というアーティストが手動で行い、さらに特殊な会場で行う展覧会に参加するにあたって、blanClassが生きたものとして機能するためには、できるだけ会場に「いること」が大事だと考えた。いる間は、blanClassの若きスタッフが中心になって、放送室などを運営、できるだけ、引込線本体へ、いろいろな関わり方を模索した。ただし、出品作家たちに協力してもらってやっと成立したことであり、反省点もたくさん残った出張企画だった。
引込線は展覧会が終わった後も年内blanClassでスピンオフ企画が展開し、11月には伊藤誠企画の「スケッチ旅行」というワークショップの「反省会が、12月には「blanClass@引込線2107」を振り返るイベントを行った。
昨年同様11月にステューデントナイトをステューデントアートマラソンを開催。今回は8組のステューデンツが参加した。前回が14組で参加者全員がグロッキーになり、8組ならば、ちょうど良いかと思いきや、やっぱり大忙しのイベントになった。いろいろな学校や専攻の学生が集まって交流することには意義を感じるものの、もう少し、ひとつひとつのパフォーマンスに向き合えると良いのかな? などと考えてしまう。3組ぐらいでできそうなイベントも模索しようかな?
通常のLive Artはというと、外島貴幸、岩田 浩、関 真奈美、西野正将、大槻英世、橋本 匠、高山玲子、中川敏光、大久保あり、鈴木悠子、三杉レンジ、泉イネ、津田道子、荒木悠/荒牧悠/荒木美由、山城大督、眞島竜男と、今年もシリーズの演目が多かったため、ソロイベントが少なめだったが、初登場も含めて、どのイベントもリラックスしつつ緊張感のあるblanClassらしい企画を運営できたと思う。ただし、もっとお客さんを呼べたらなあと、改めて反省している。
今年は引込線もあってバタバタしてしまった。そのせいで経済的にはなかなか辛いものもあったが、それでも井土ヶ谷から所沢の給食センターに通う日々は、この先何年かは思い出すであろう良い思い出。先にも書いたが、展覧会は本来作家が不在でも成立するはずの形式なのだが、現状のアートをめぐる状況下では、作品と観客と批評という形に依存するわけにはいかないところがあり、何かを発信するものにとって、その仕草が、生きたものとして機能するためには、まずは、できるだけ、そこにいて、あるいはそこに行き続けるような姿勢が問われるように思う。社会と言って距離を感じるならば、まずは人と人の間に、その時だけでも確かに立ち現れるものやことを頼りに「場」を模索するのが、いつも言っていることだけれど、大事なことなのだと思うのだ。
小林晴夫(2017.12.31)
遠い目で見る(2017_11-12)
これまでblanClassでは、ライブハウスや算盤塾のようなシステムでいろいろなイベントやシリーズをなんとか運営してきたが、ここにきて俄然、クラブ活動がしたくなり、最近ふたつのクラブ活動をはじめた。ひとつは隔月で行っているCAMPのイベントをきっかけに生まれた「農園クラブ」。もうひとつは、電子工作技術やプログラミングなどでDIYする「工作クラブ」。クラブ活動といっても、できたてのホヤホヤなので、運営方針もグダグダなのだが、なんだか久しぶりにワクワクしている。
マリンスポーツ、モータースポーツ、山岳スポーツなどなど、スポーツ分野では大小さまざまなクラブ活動が展開している。稀に、サッカーのように地域のクラブが国際的なつながりになってしまっているようなケースもあるが、もちろんそんなに大きな動きに興味があるわけではなくて、逆に現在の国際経済からこぼれ落ちてしまうような、細々とした経済活動に興味があるのだ。
東京圏にはアーティストのコミュニティがなかなか育たない。それは東京という首都が政治的、経済的に大きすぎるためなのか? 商業方面にも、オタク方面にも、純粋方面にも、文化的にもそれぞれに大きく肥大し過ぎて、その内側はどんどん細胞分裂してセクト化が止むことがない。コミュニティ⤴︎と語尾を尻上がりに発話するそれは増えているものの、厳密な意味でのコミュニティは痩せ細り、ひとりひとりはしみじみと孤独を強いられているようだ。そうするとやっぱりなにかと生活のコストはかさむ、やはりもう少しうまいシェアができる関係づくりはできないものだろうか?
つまりいろいろと考えを交換できる人間関係がそれぞれ物理的に遠くに住んでいる状況下では、コミュニティはおろか、コレクティブですら、その運営はままならない。単純に面積が広すぎるのが問題なのかもしれない。横浜で活動を続けている理由も少し東京という文化圏と距離を置きたいという意思の表れでもあるのだが、そのことはあまり伝わらず、来場される方々からは「遠い」とお叱りを受けることも多く、ということは来場者の大半が東京圏の住人であることが知れ、blanClassだって東京の面積をさらに広げている元凶のひとつでもあるわけだ。
というわけで、思いついたのがクラブ活動。ほどよく頭と体を両方つかいながら、できることはなんでも自分たちでやってみる。手に入れた言葉ばかりを近視眼にすり合わせるだけのつながりではなく、もう少し近い関係を模索しつつ、手元や足元に ある問題を、できるだけ遠い眼で見直してみたい。
小林晴夫(2017.11-12 チラシ掲載)
ずっとゲームをしている子供たち|@引込線2017
この夏、blanClassは、引込線2017に参加することになった。展示スペースもいただいたのだが、そこはそれ、blanClassなので、展示中心の参加ではない。引込線会期中の8月26日(土)- 9月24日(日)は、一部のセッションを除き、横浜のblanClassは閉めて、ほぼ完全出張、いつものワンナイトイベントの代わりには、12組(15名)のアーティストをお呼びし、展示とは一味も二味も違ったイベントを企画していただきました。
「引込線」は今回で6回目の展覧会。副題に「美術家と批評家による 第6回|自主企画展」とあるように、展覧会と対等な意義を持って批評家たちが自由なお題で書き上げた論文集と対になっているプロジェクト。展覧会と書籍が別のレイヤーになって重なっているところが「引込線」の特異なところ。
blanClassから「さらにレイヤーをつくり、展覧会を観に来る人々の脳みそをハッキングすること」が、ゲストアーティストへのミッション。
そして今回は、いつものワンナイトイベントのようにはいかない。真夏の10:00〜17:00、そもそも展覧会を目的にやってくるお客さんをどうやって巻き込んだら良いのか?
そこでゲストたちには「家族旅行のあいだずっとゲームをしている子供たちのようなこと」を考えてほしいという話をした。夏休みの新幹線車内などでよく見かける光景。一緒に移動をして、同じ場所に泊まるけれど、果てしなく交わらない…。
この話、思っていた以上に伝わったようで、それ以上の話し合いはあまり必要がなかった。
また、隔月でLive Artに参戦しているCAMP、今回は「引込線2017」に出張中なので、展覧会のサテライト会場でのイベントをお願いした。縁あって「セクシャルマイノリティーを考える会」を引込線関連企画のゼミナール給食センターにご紹介した。それぞれは、あくまでも単独の企画だが、blanCLassもお手伝いします。
どの日に来てもなにかしらblanClass関係のイベントや作品に会えるはず、ぜひご来場を…。
9月30日(土)からはいつも通りblanClassに戻って週末にLive Artをお届けします。初っ端は「岸井戯曲を上演する。総集編」。これまでどんな発表形式でも「上演」と豪語していたはずなのに、今回の企画、佐藤朋子の逆襲か? 発表形式が「展示」となっている?
そして10月からのゲスト、中村大地、泉イネ、三杉レンジは初登場、鈴木悠子は久々の出演です。横浜のblanClassもお忘れのないように…。
小林晴夫(2017.9-10 チラシ掲載)
美術という役職(2017_6-7)
blanClass は特に美術を専門にしているつもりもないけれど、美術以外の形式を専門にしている人たちから見ると、美術サイドの活動に見えるようだ。
私が長らく現代美術を専門にした仕事をしてきたので、人脈がそちら方面にかなり偏っているため、当然といえば当然の話なのだろうが、特に形式を限定せずに、さまざまなバックグラウンドを持ったアーティストに、自分たちのフィールドではなかなかできないことを実験できる場として運営してきたつもり。それでもきっと私自身、現代美術をバックグラウンドに思考してしまうだろうし、どこまでも際限なく開いて、さまざまな価値観に触れるというのも、言葉で言うほどにはうまくいかないもので、美術から、アートと呼び換える理由が形式を問わずという共通認識が、あらかじめあるわけでもない。
ところで、美術というと、演劇、映画、アニメ、テレビなどの領域では、役職の名前になっている。
その職についている人たちは、それぞれその道のプロがおさまっていて、大概の場合、街場で美術家を名乗る人たちとはまた違う人たちが担っている。
そういえば、音楽家、小説家、演劇家たちは、自分の領域を踏み越えて、ポピュラーカルチャーとうまくコラボレーションをしているのに、美術家に限っては役割がほとんどないと、ずっと思っていた。
例えば、現代美術作家が映画の美術を担当していたらどうなっていただろう? 岡本太郎が美術を担当した SF 映画『宇宙人東京に現る』という映画がある。でもこれはあくまでも主観だが、ヒドかった。
プロダクションにおける、美術という役職と、いわゆる美術を同じように呼ぶこと自体に違和感を感じ続けてきたわけだが、最近になって、ちょっと違う感想を持つようになった。というのも、例えば映画を見るとき、映画の中の美術と呼ぶべき部分を、無意識に重要視してきたことに気がついたからだ。
美術と呼ぶべき映画の要素はうまくいけばいくほど空気のようにその映画そのものの雰囲気を決定している。 そう考えると、その美術とこの美術もそう遠くはないかもしれない。さて街場に戻って考え直すと、美術はその程度の役割も担ってこれたのだろうか?
これからのアートにとっても社会の中にアートと呼ぶべき部分や要素をどこまで担えるかが鍵という気がする。こういう考え方は諸刃なので、慎重に発言しなければいけないだろうが、いつでも美術は、社会の外にいて、その社会を批判することだけが役割だったら、本当につまらない。
小林晴夫(2017.6-7 チラシ掲載)
成熟と幼稚(2017_4-5)
最近、国連とコロンビア大学の研究機関、SDSN が発表した「世界幸福度報告書2017」によると、上位は北欧の福祉国家がぞろり、日本は「国や企業への信頼度」、「寄付などを通じた他人への思いやり」、「他者への寛容さ」などの数値が低く、51 位。先進主要12 ヶ国の中でも大きく差がついて最下位だった。日本は、いろいろと条件は悪くないのに人間関係ばかりがギスギスしているということだろうか? この結果だけを信じるならば、経済的に優位な国々よりも福祉国家になるのが正解ということだろうに、実際に日本が向かう先は、北欧型の福祉国家ではないようで、これまでに培ってきた、モダンやらコマーシャルやらグローバルなんかをいびつにつなぎ合わせたまま、結局は経済成長だけが頼みのゲームが終わらない。
先に挙げたように、ほかの国では福祉国家はすでに存在し、成功もしている。最近では公共通貨(パブリックカレンシー)や、国民配当(ベーシックインカム)を導入するための議論も各所で起こっているから、旧来のイデオロギーに根ざした経済とは、まったく違う選択がないわけではない。そろそろこの辺りで、成熟しきって先に夢のないゲームに終止符を打って、大胆に方向転換をしてほしい。
保守的な権力や富を独占している側が、そのゲームを終わらせたくないのは当然のことながら、なかなか変化が起こらないもう一つの理由は、それらの勢力に対抗する側も、搾取されている側も、知らず知らずのうちに、同じゲームのルールに嵌まってしまうからではないだろうか?
文化的な営みにしても、多くは標準的な社会制度や経済的な競争をベースに機能し、また縛られてきた。それでも、思考実験に近い表現は実践され続けている。そうした試みは、これまでのお手前に従っていない分、成熟し完成しかかっている既存の「知」から比べれば、とても幼稚に見えるだろう。でもあらかじめ答えがわからないことを始めるということは、その幼稚なところから手探りをするということ。
blanClass で起こっていることを考えても、すっぱりと過去を清算するというわけにはいかないようで、これまでの現代美術の完成と、これからのアートの可能性、「成熟と幼稚?」が同居しながら、せめぎあっているように思える。だから当面は、それぞれ個人が抱えていて、交換できそうでできない価値観を、苦しみを伴いながら、どうにか吐き出しつつ、お互いの思考を確認していくというのが、まだまだ現状なのかもしれない。
小林晴夫(2017.4-5 チラシ掲載)
暇になろうよ(2017_2-3)
ブラック企業と認定された企業に限らず、どういったシチュエーションでも、人に見られていると感じると、長い時間をかけたものの方が価値があるように錯覚するようで、長時間労働というものは、押し付けられているわけでもなく、どうやらそれぞれの人たちが自主的に「仕事した感」を味わうために増長していくものらしいのだ。
最近いろいろな人と喋っていたら、どうも身体が空いたり、退屈を感じると、なにかしらの空間恐怖のようなものが働くのか? それをどうにかして埋めてしまう傾向というものがあることを知った。こうなると、ダラダラと仕事をするどころか、もはや、やることすらないのに「なにもしない」という選択が取れないということ。
「効率」と言ったら、少し聞こえが悪いけれど、仕事なんてものは時間をかければいいというものでもないだろうし、気持ちが入っていたからといって、良い結果が得られるわけでもないだろう。仕事が一番大事という人たちには大きな声では言いにくいが、一生にやり続けなければならないことは「仕事」ばかりではないし、「仕事」とレッテルの張られていないけれど、やらなくてはならないことは、果たして「仕事」ではないのだろうか?
なんでもかんでも「仕事」とか「勉強」と言ってしまったら、今度はどちらもやる気が失せるから、ではなんと呼んだらいいのだろう? どうせやることの中に大事なことと大事ではないことにグラデーションをつけるのがおかしいという話なのだが、安易に優先順位をつけていくと、実はツケが溜まって、結局はコストがかかってしまう。それが現在の経済社会というものだ。
「なにもしない」とか「やることがない」とか「なにをしたらいいのかわからない」とか「そもそもなんにもわからない」というような心持ちは恐怖の対象のようだが、どうだろう?
そういう気持ちとうまく付き合って、そちらの方に時間をかけた方が視野が広がって、より良い考えが生まれていくはず。
だから「余白」のような時間を簡単には「無駄」とは言わずに、逆にそういう時間をつくるために、そのほかの時間を切り盛りしてはどうだろう?
自分の視野で抱えている物事とそれ以外の場所で起こっていることにギャップがあって、いざ外で起こっている深刻な問題に触れるとストレスで行き詰ってしまったり、逆に無理に言語的な接続だけを頼りに「社会性」を装ってしまうことも、きっと「仕事」らしきもので日々を埋めてしまうことと似たことをしているのではないだろうか?
本当は「なんにもない」と思い込んでいる方に、身近に実感できる「社会」が垣間見えるはず。まずは自分の持っている視野の狭さを実感して、あえて暇に耐えてクリエーションに臨みたいもの。
というわけで、心置きなくゴロゴロするためだけに「仕事」、もしくは「アート」をしよう。
小林晴夫(2017.2-3 チラシ掲載)
あらためて、Do it yourself !(2017_1)
2017年のLive Artはキャッツヘブン企画「ヤミ市」でスタートする。
今年の新年パーティーの企画を吉田和貴さんにお願いしたところ、cat’s heaven…!というプロジェクトの展開として企画をしたいとのこと。cat’s heaven…!とは、2005年に8月15日の敗戦記念日を念頭に置いたグループ展のために立ち上がったプロジェクト。第二次世界大戦終結の日を考えるときの「犬死について考える(thinking about dog’s death)」という姿勢に対峙して、吉田さんの周辺にいたアーティストたちが「猫たちの幸福(cat’s heaven)」を想うことをあえて標榜したことから、この名前が当てられたということらしい。
cat’s heaven…!が逆転して示そうとしたは、ひとつの事柄の認識を、ひとつの方向に固定化させたくないという意思の表れだろう。批判というと、ネガティブ方向に傾きがちだけれど、ポジティブ方向への批判だって怠ってはいけない。それこそ現状を誤解してしまう恐れがあるからだ。実際、問題だらけの世の中だけれど、クリアしていることだってたくさんあるはずで、そこを無視したら、結局のところ過去を振り返るだけで、同じところをグルグル回ってしまうことになる。
そしてそのcat’s heaven…! の今回の提案が「ヤミ市」というわけ。
一瞬、政治や経済が空白になった時代に、無法と言わず自由の名の下に、そこらじゅうで市が立った。善も悪も一時休戦、商魂たくましく、すいとん汁やら饅頭やら、果てはカフェまでが現れて、食い気を糧に生き抜く様は、ものの本やら映画やらで聞き知るばかりだけれど、きっとヤクザなことが吹き荒れたのだろう。それでも、そこにあったであろう熱のようなものを想像して、憧れてしまう気持ちはよくわかる。
その時代、なにも官僚たちだけが夏を謳歌したわけでもなく、「ヤミ市」に限らず、多くの人々が自分たちで足りないものを補うことから、多くの発明が実践されていったはず。
今の時代は、ともすると、既存の方法やシステムに知らず知らずに乗って考えをめぐらしてしまいがちになる。やってはいけないことばかりだし、なにかしようとすると、お金ばかりがかかって二進も三進もいかない…。本当にそうだろうか? 既存の美意識やクオリティーと少しだけ距離を置いて考え直せば、自分たちでいろいろとデザインしていけるのではないだろうか?
大半の飼い猫は、明日からでも野生に帰れるたくましくて珍しい生き物。そんな猫たちを見習って、あらためてDIYしていこうと思う。まあ、とりあえず今年は、持ち寄りで売り買いを楽しむところから始めよう。
小林晴夫(2017.1チラシ掲載)
ジャンル天国の地獄(2016_11-12)
今の世の中には、確かに文化的なジャンルが多様に準備されている。遠目で見たら似たようなものに見えるものでも、目を凝らして見てみると、微妙に違っていて、しっかりと住み分けされている。近いものの違いの方が気になるのは世の常なのか、どんどん細分化をしながら、お互いのアイデンティティーに線を引いて相容れない。
11月には今年から募集を始めたステューデントアートマラソンがある。おかげさまで、14組の現役学生アーティストが集まってくれた。もちろん蓋を開けてみなければ、どんなことが起こるのかはわからないけれど、彼ら彼女らも、その表現の行き先がどこなのか、気が気ではないだろう。
ここ数年、幾つかの美大にお呼ばれして、学生たちと、それぞれがその時々に考えていることや作品のことなどを
話す機会が増えた。考えてみると美大も学部やら、学科やら、専攻やら、領域やら、コースやらが、どんどん増えていって細分化が激しい。その区別することの本当の意味は、実に曖昧でよくわからないのだが、学生たちと話していると、先生に言われるのか、自身のやっていることが、芸術なのか? マンガなのか? デザインなのか? それともただの冗談なのか? 大真面目に悩んでいるようなのだ。これだけたくさんジャンルが用意されているのに、どのジャンルにも行き先を見出せないような不安がそこにはあるようだ。
だったら、自分たちでその表現の収まる先までつくってしまえば良いとも思うが、といって、また新しいジャンルをつくっていくとしたら、ジャンルの細分化はとどまることを知らず、いよいよ本格的な「ジャンル天国」になってしまう。
一昔前なら、どこにも収まらない問題意識の収まる場所は〈アート〉ですよと簡単に言えたのだが、〈アート〉という言葉も今やひとつのジャンルに聞こえてしまうから、この状況をなんと表現していいのかよくわからなくなってしまう。
最近、TERATITERAというアートイベントに行ったら、とある宇宙人に出くわして「宇宙人にもわかるように〈アート〉という言葉の意味を教えてください」と聞かれたので「社会や身近な問題を考えるための一つの方法です」と答えたのだが、やっぱりステューデントたちにも〈アート〉を1ジャンルに括って欲しくはないし、既存のジャンル地図とは違う視野で世界に相対してほしい。
小林晴夫(2016.11-12チラシ掲載)
書を捨てて出る先は、相変わらず町なのだ(2016_9-10)
「啓蒙ってどういうことなのだろう」とか、「リベラルってどっち向きなのだろう」とか、「ラディカルに生きるって可能なのだろうか」 などと…、悶々と悩んできた。そうしている間、世の中も一緒にリベラルに更新しているだろうと、勝手に思い込んでいたが、成熟したのは経済ばかりで、思想や文化に限っては、驚くほど紋切り型のイメージに逆戻りしていると感じることが多くなった。今になって考えてみると、周りにいた人々が、そもそも少数派だったし、あまり多層に世間を見渡していなかったのだろうと思う。
先日BBCの番組でトニー・ガーネットのインタビューを見た。この人はケン・ローチなどと組んで、イギリスのテレビや映画の世界で、社会リアリズムの手法を発明し、バリバリと仕事をしてきた人だが、最近のマスメディアでは、影響力のある社会的な発言をするのは難しくなってきたと言っていた。それはメディアが産業構造に完全に取り込まれたせいもあるが、60年代には社会に埋もれていた問題を、つくり手も手探りしながら発信していたが、もはやほとんどの問題は、白昼にさらされた後なので、メディアで発言をしたところでインパクトを持たなくなった、というような分析をしていた。
現代社会にある問題自体はすでにあからさまな状態になっているということなのだろう。にもかかわらず、深刻な問題も消費されて飽きられてしまったのかもしれない。情報も商品も問題も、等価なものとして、ただ並んでいるだけなのだろうか? うんざりしてくるが、きっとそんな感覚が標準化してしまって、なにもかもが紋切り型のイメージに収まってしまうのだろう。
というのも、きっと近代に理想とされた、例えば都市のような受け皿が、機能としては完成されてしまって、その器に合わせて物事を考えるものだから、窮屈で退屈な紋切り型がやり取りされてしまうのだろう。そうしていれば当面は安全なのだろうが、結局のところなにもやることが見当たらない。見当たらないから、「私」と「社会」という、どうしようもなく抽象的な世界像の中で、誰とも共有できないような経験を頼りに驚くほど抽象的な表現をその器の上に乗せてみる。スーパーマーケットの生鮮売場みたい。
完成されてしまったシステムのなかに暮らし続けるということは、それらを権威だと怖れるというより、その状態が動かしがたいデフォルトになってしまうのかもしれない。現在の都市とは、かたちを成した硬い器ではなく、意識のなかに張り巡らされたお約束に過ぎないのだ。書を捨てて出る先は、相変わらず町なのだけれど、そのためには、まずはその意識のデフォルト状態の外に出なければならない。うまくそこから出ることができたなら、実はそこにはデフォルト化されていない、未分化でだらしがない世界が複雑に入り組んでいるはず。お役所もなく、学校もなく、美術館もなく、劇場もないような、そんな超屋外で少しずつ、学んだり、考えたり、想ったり、話してみたりしながら、再度、諸々の問題に触れ直していけば、うまくすると現状の紋切り状態からの脱出できるかもしれない。
小林晴夫(2016.9-10チラシ掲載)
art–life balance(2016_6-7)
芸術と、社会、歴史、政治を結びつけて活動していくことは、とても難しい。それは戦前戦中の芸術家たちの動向を見てもわかることだが、個人からの真摯な態度ほど、権威からも市民からもなぜか忌み嫌われるところがある。発信者である個人もまた、自身の中に保守や幼稚さを抱えていて、しっかりとした態度に踏み切れないのかもしれない。そんな態度は、大勢を占めるムードに簡単に回収されてしまい、大抵はへこたれてしまう。
その上「アート」なるものが、とても曖昧な概念なので、世の中に厳然と存在している問題を触れようとしても、今度はその曖昧な「アート」のなかに回収され、評価のなかに埋没してしまうから、とうとう届くべきところに届かない。そればかりか、「アート」は、それを好む人にとっても、好まぬ人にとっても、特別なものとして祭り上げられてしまいがちだから、なおのことたちが悪い。大昔であれば、そういう高みがあってこそ、権威とも対等の位置から物申すことが可能だったのだろうが、そういう古い図式を反省もせずに引き継いでいることこそが保守の姿勢に違いない。
芸術と、社会、歴史、政治を結びつけるといっても、絵に描いたようなステレオタイプのポリティカルアートでは困るし、「リレーショナルな感じ」みたいに流行ってしまうのもどうかと思う。「アート」の立ち位置が安定していると思い込んで、自身の領域への批判が足りなければ、なにを問題にしたところで、結局は「アート」を装うモチーフにしか見えない。個々の問題を自分が拠点にしている専門から眺めた上で、切り分けてしまったら、結局はゲームに偏ってしまうだろう。一番切実な問題とは、簡単には分けることができないような事柄のはずなのだ。
東京都現代美術館の「MOT アニュアル 2016 キセイノセイキ」を見て、またその展覧会をめぐって物議を醸していることについて、改めて「アート」の立ち位置が悩ましいものに思えてきたので、ついこんなことを書いてしまった。
話が横道に反れるようだが、最近はちょっと気が利いている大学生なら、自分の将来の「work-life balance」を真剣に考えている。だいぶ前から、海外との比較があっての発言なのだろう、東京で活動しているアーティストたちが「この国で仕事や生活をしていると、なんでこんなにせわしなくなるんだ」と嘆くのをよく耳にする。ちょっとでも気を抜くと、雑務に追い立てられるようになってしまうというのだ。お金や生活のためだけに生きるのは、まっぴらごめんだけれど、アートのためだけに生きるぐらいなら死んだ方がましというものだ。
かといって、「アート」を投げ出してしまったら元も子もない気がするので、「アート」を拠点に考えるのだけれど、誰も「アート」の上に立っているわけでもないことを改めて確認したい。タイトルには仮に「art‒life balance」としてみたが、「work-life balance」が示す意味以上に、いろいろな難問を地続きなこととして、生きていく方法を考えていくべきだと思うのだ。
6 月、7 月には、その「キセイノセイキ」にも出品しているアーティストから藤井光、橋本聡が出演してくれることになっている。それほどの意図があるわけでもないが、モヤモヤしているだけでもいけないので、もう少し先に歩みを進めてみたい。
小林晴夫(2016.6-7チラシ掲載)
土曜の夜と日曜の午後(2016_4-5)
4月23日(土)、24(日)2日間連続で、珍しくblanClassが主導したイベントを企画した。
イベントには特別ゲストに、関東大震災直後に横浜で起こった朝鮮人虐殺の事実を40年以上も独自に研究している後藤周さんをお呼びする。彼の研究の最もコアな資料に当時の小学生が書いた作文と石碑がある。今回はそれらを実際に見ながら、参加者と共に考えを巡らせたいと思っている。
実は後藤先生は私の中学の担任だった人。私に、放課後の職員室で広島長崎の原爆の話、水俣病の話、そして在日コリアンに対する不当な差別の話をしてくれた。昨年、実に35年ぶりにお会いして、その後の活動のお話を聞くことができた。後藤先生は郷里の岡山から初めて赴任先の横浜を訪れて、横浜の荒廃した雰囲気に驚いたと言っていた。当時の横浜の下町がいかに行き詰まった感じだったか、それを知らない人に説明するのはとても難しい。バブルが訪れる前の横浜は、幼い私にとっては、絵に描いたようなやさぐれ街だった。
中2の夏休みの読書感想文で私はアラン・シリトーの「長距離ランナーの孤独」を選んだ。校内暴力が吹き荒れた学校生活を送っていた私にとって、シリトーが描く世界は共感以上のリアリティーを感じたのも事実。同時に主人公のあまりにもペシミスティックな反骨に、なぜだか怒りを感じてしまい、感想文には共感よりも怒りばかりをぶつけた。体育館で、この感想文を全校生徒の前で朗読した後、後藤先生は代わりに私のアンビバレンツを優しい言葉でほかの生徒に説明してくれた。
すっかり大人になった今になっても、世の中のどの階層にも共感できない、宙ぶらりんなアイデンティティーは変わっていないが、あれからの日本の社会は、もっともっと大きなお金の流れに翻弄され、さらにおかしな状況に辿り着いている。だからといって止まってしまったわけでもないだろう。シリトーが言うように「運なんて気紛れなもので、後ろ頭をガツンとやられたかと思えば、次の瞬間には砂糖を頬張らせてくれたりもする。できることはただ一つ、へこたれてしまわないこと」なのだから。
というわけで、第1部、土曜日の夜は当時の小学生が書いた作文を読み、翌日の第2部、日曜の午後はblanClassから程近い宝生寺にある関東大震災韓国人慰霊碑を訪れる。ゲストの後藤先生に加えて、聞き手に佐々瞬、岩田浩、趙純恵、3人のアーティストたちが駆けつけてくれる。
というのも、2015年3月によって3人によって行われたパフォーマンスに触発されて今回のイベントを企画したからだ。「それら について話すこと」と題されたそのパフォーマンスは、やはり2日間で行われたのだが、本番を迎えるまでに、3人が積み重ねようとして、脱臼していく「対話」を、観客をすっかり置いてきぼりにしたまま継続したものだった。彼らが抱えた難問は、世の中にどうしようもなく繰り返される「醜い事件」に、どういう態度で向き合えばいいのかということ。そのためにはコラボ
レーター同士が考えを共有する必要があるわけだが、適当なところで折り合えない愚直さなのか、問題を共有することへの懐疑なのか、話は話を生み、行為はまた行為を誘発して、とりとめもなく平行線のコミニュケーションが横たわっていた。
「醜い事件」とは弱いものへ向かう暴力のこと。けだし暴力を振るう者たちもまた幸福とは言い切れないストレスのなかに生きている。どうしようもない「空気」が、どうしようもない「事件」を生み出してしまう。
「それら について話すこと」というパフォーマンスに、私が感じたのは、社会に横たわるどうしようもない「空気」に対抗し得る「空気」。コミュニケーションは万能ではないから、お互いの考えをすり合わせるのは、実際にはとてつもなく難しいことだけれど、それでも、もしもだれもが抱えているストレスや愚痴を交わすことができる場が世の中のいたるところにあったなら、きっと「空気」は入れ替わるはず。一時でも窓を開けて「空気」を入れ替えてみようと思う。
小林晴夫(2016.4-5チラシ掲載)
個人的な想いを他人に押しつけない(2016_2-3)
昨年の12月11日に韓国の清州市(チョンジュ)にあるPUBLiCAiRというアートNPOに呼ばれて「インターナショナル・セミナー」という企画に参加してきた。
日本から「blanClass」と「てしまのまど」の安岐理加さん、タイ(ラーチャブリー)から街なかの展覧会「ART NORMAL」を運営しているGrace Supphakarn Wongkaewさん、韓国から清州市の「PUBLiCAiR」と「HIVE」、忠州市の「Studio Good」、それぞれの活動を紹介していくというイベントだった。
blanClassは、作品になりきらない段階のものでも、初めて試みるフォーマットでも、アーティスト本人がわかっていないことでも、結果うまくいかなくても、とにかくどんな制限も許さないような自由で実験的な思考の場だということを、わかってもらおうと努力したつもりなのだが、blanClass以外のケースはみな地域と深く関わって展開しているチームだったので、もしかするとあまり役には立たない情報だったかもしれない。
準備の段階で、PUBLiCAiRのスタッフで、通訳をしてくれた本島真由美さんが「韓国では前例のない活動なので、韓国語にするのが、とても難しい」というようなことをおっしゃってくれた。そのときは「私だって、わかってやっているわけではないから、そもそも説明するのが難しい」と答えた。
blanClassの運営で心がけているのは「なにもしない」こと、つまり「個人的な想い」を他人に押しつけないこと。これがもし「教育」が前提だとしたら、「なにもしない」のはまずいかもしれない。「教育者」というのは、自分ができることを未熟な者に対して「やってあげる」ことだと思うからだ。
ただし、それが相互に交換するべき「学習」なのだとしたら、話がまったく違ってくる。「学習」が目差すのは「わからない」ことを手探りしつつなにかが生まれることを諦めないということのはずだから、どういう立場にあろうと自分がわかっていることをやっていても、あまり意味がない。過去に確立した、知恵でも、システムでも、領域でも、形式でも、それがどんなに素晴らしいものでも、あるいは、良いものであればあるほど、それを残そうとすることは、どんな「変化」をも阻むものになるに違いない。
私も人の子なので、blanClassの活動の仕掛けをゼロから立ち上げたわけではない。例えば、若い頃に住んだマンハッタンの、いくつかの小さなオルタナティブ・スペースに足繁く通いながら、いつかこんな場所をつくってみたいと夢見たし、これまでしてきた仕事を通して考えてきたことの具現化でもあるけれど、それらがすなわちモデルになっているわけではない。
結果、blanClassのシステムは、バカみたいにシンプルなので、そこにオリジナリティーがあるわけでもないけれど、かといって、同じような場所はほかにないとは思ってはいたのだが、とりあえず、韓国にはないらしいと聞いて、実は内心ちょっとだけ嬉しかった。
小林晴夫(2016.2-3チラシ掲載)
セッションにつぐセッション(2016_1)
年が明けてすぐ、土曜日のLive Artの枠で、1月には平倉圭セッション、2月には中村達哉セッション、津田道子セッションと、週イチセッション2015秋冬シーズンの発表が続く。そして4月からは2016年週イチセッション春夏シーズンのラインナップ、沖啓介による「ArtCOG (Artistic Cognification)プロジェクト|アートの未来、コモンズ、シンギュラリティ(仮)」、佐々瞬による
毎週リサーチを持ち寄って展開するセッション、前後(神村恵、高嶋晋一)による、ダンスのワークショップから拡張したようなセッションと…、現在準備が着々進められている。
一方、月イチセッションは、眞島竜男「どうして、そんなにもナショナルなのか?」、岸井大輔「アジアで上演する」、鈴木理策「写真のゆくえ」など、1年で完結するセッションをいくつか行ってきた。こうした1年完結型のセッションは、月1回のペースで展開することで、短期集中型のセッションとは違う、ゆっくり、じっくり変化していく、講師(ホスト?)のリアルな思考の転換が手に取るように見ることができ、またある種の答えのようなものにたどり着いていく姿勢に立ちあう機会にもなっているようだ。
ところが、2012年に拡張計画として、月1企画を始めた当初から未だに続いている2つのお化けセッションがある。
それが杉田敦ナノスクールと、CAMPの月1イベント。この2セッションはきっと、どこまでも続きそうな気配。
月1回のペース行っているので、間に1ヶ月ほどの時間が空く、その1ヶ月の間に、なにやら、生き物のように変幻する、知の種が、ちょっとずつ、芽を出しては、また引っ込めるような感じだ。3ヶ月完結型の週イチセッションや1年完結型の月イチセッションでは、感じ得ることのない、独特なスケールで、毎月毎月、なにかしら思考に耽る一時がやってくる。
どのセッションにも、特徴があって、必ずと言っていいほど、熱心な参加者にも恵まれているので、仕掛けている方だけが、セッションをしているわけではない。つまり、セッションを傍観する位置なんて、用意されていない。
だから、それこそ文字通りの意味で「セッション」が展開している。
いかにして学ぶ姿勢を共有したらいいのかと、本当に長いこと悩んできた。レクチャーしてみたり、ワークショップしてみたり、リサーチしてみたりと…。どんな形でも取り込める受け皿というか、それらを超える形というか、そんなことを期待して、敢えて「セッション」と言っていたのだが、どうやら、とっくに「セッション」は始まっているようだ。
というわけで2016年はセッションにつぐセッションです。2016年もblanClassをどうぞよろしく。
小林晴夫 (2016. 1. チラシ掲載)
blanClass + portfolio(2015)
art & river bank 「depositors meeting #13」に、今年もポートフォリオを出展する。これが6回目。今年も昨年、一昨年同様セレクターとして棚がもらえたので、1年間にblanClassに出演したアーティストから、有志で何組かのファイルが一緒に並ぶ予定。
今年は新年パーティーイベントの企画を永田絢子にお願いをして、昨年増本泰斗が提案したモバイルキッチをつかった「モバイルキッチンでできること#2」で始まった。ゲストには後藤桜子、斎藤玲児、BARBARA DARLINg、宮崎直孝と、日頃から手料理に定評があって、自らの活動ともリンクしているアーティストたちが腕を振るった。
2月には池宮中夫が[HerdenohrーMINUTE 群生する耳ー微小]発表前に7日間の日程で、その発表を前提にしたワークショップを開催、3月にた佐々瞬は岩田浩、趙純恵らと協働して、コラボレーションを謀るが、過程で積み重ねた対話を決着させるのではなく、さらに延長する形で発表をしたりと、毎年お呼びしている作家のさらなる実験が展開した。
これは少し内々の話になるが、今年は私を除くスタッフの3人に「Live Artで発表をすること」を課題にしてもらった。ということで、野本直輝が1月に、安部祥子が2月に、宮澤響は飯山由貴と協働で9月に、それぞれ発表をした。通常裏方にまわっていろいろなイベントに立ち会ってきた彼らがどんな内容のイベントに臨むかが興味の対象だった。三者三様のプレッシャーと戦って苦労をしたようだが、相応の反応もあり、今後も折を見てこういう機会をつくろうと思っている。
昨年はできるだけ初めて呼ぶアーティストを中心にスケジュールを組んだが、今年も引き続き、VOLUTION! VOLUTION!、関川航平、小口奈緒実、清水 享、川久保ジョイ、(秋本将人/青山大輔/大槻英世/菊池絵子/杉浦 藍/高木秀典/永瀬恭一/西山功一/益永梢子/光藤雄介/箕輪亜希子/渡辺 望)、笠原恵実子、金川晋吾、趙純恵(ゲスト:李静和)、坂本悠、小泉明郎+高川和也、女の子には内緒などなど、初めて出演してくれた作家のイベントも多いのだが、今年は、近藤愛助、高橋永二郎、河口遥、山城大督、土屋紳一、原田晋、中村達哉、村田紗樹、津田道子、森田浩彰、井出賢嗣、L PACK、武久絵里、前後(高嶋晋一/神村恵)など、2回目、3回目の登場アーティストを意識的に呼んだ。間に何年か挟んで出演したアーティストも少なくなく、確実に変化を持って戻ってきてくれた感が強い。blanClassはワンナイトの経験で完結してしまうイベントが多いので、1回1回のインパクトも重要かもしれないが、繰り返し同じ作家がなにかをすることで、見えてくるものも重要だと改めて感じている。
一方、月イチセッションは、昨年から引き続き、岸井大輔「アジアで上演する」、発端となっていた、岸井も含めた日本のコンテンポラリーアーティストの中に見られる、土着的な興味と、上演のかたちが組み合わされた表現が多く見られることへの危惧への1つの決着として、9月には、戯曲『好きにやることの喜劇(コメディー)』の上演を行った。 これは来年2月にLive Art版を再演することになっている。今年は4月から、鈴木理策「写真のゆくえ」を1年で完結するかたちで行っている。こうした1年完結型のセッションは、月1回のペースで展開することで、短期集中型のセッションとは違う、じっくり変化していく、講師のリアルな思考の転換が手に取るように見ることができ、またある種の答えのようなものにたどり着いていく姿勢に立ちあう機会にもなっているようだ。ところが、2012年に拡張計画として、月1企画を始めた当初から未だに続いている2つのお化けセッションがある。それが杉田敦ナノスクールと、CAMPの月1イベント。この2セッションはきっと、どこまでも続きそうな気配なのだ。
CAMPは月イチセッションのほかに、土曜日のLive Artの枠に隔月でお呼びしているのだが、佐々瞬個展会場で、3人の佐々瞬の代理人が代理でトークしたり、ゴールデンウィークには5泊6日のホテルCAMPがあったり、吉祥寺のOngoingに出張して先行き不明な3つのチームが目隠しをして手巻き寿司をつくったり、子育て経験者たちの「アーティストにとっての子育て」などなど、今年もなかなかな企画が盛りだくさんだった。
今年はさらなるセッション、週1回のペースで全10回~12回、3ヶ月完結にして、参加者たちによる発表を前提にした週イチセッションを10月に平倉圭(月)、津田道子 (金)、 11月には中村達哉(日・祝)の3セッションを始めた。初めての企画というのは、周知や運営に手こずるもので、まだまだ、問題は山積みなのだが、blanClassの開いている時間や空間を活用し、機能する企画に育てるべく、来春も沖啓介による「ArtCOG (Artistic Cognification)プロジェクト|アートの未来、コモンズ、シンギュラリティ(仮)」、佐々瞬による毎週リサーチを持ち寄って展開するセッション、前後(神村恵、高嶋晋一)による、ダンスのワークショップから拡張したようなセッションと…、現在準備が着々進められている。
12月11日に韓国の清州市にあるNPO法人のアート団体に呼ばれて「インターナショナル・セミナー」という企画に参加してきた。日本から「blanClass」と「てしまのまど」の安岐理加さん、タイ(ラーチャブリー)から「ART NORMAL」という街なかの展覧会を運営しているGrace Supphakarn Wongkaewさん、韓国からは清州市から、この企画の主催「PUBLiCAiR」と「HIVE」、忠州市から「Studio Good」と、それぞれの活動を紹介していくというイベントだった。
blanClassは、作品になりきらない段階のものでも、初めて試みるフォーマットでも、アーティスト本人がわかっていないことでも、結果うまくいかなくても、行き先も目的も不安定な、とにかくどんな制限も許さないような自由で実験的な思考の場だということを、わかってもらおうと努力したつもりなのだが、通訳を引き受けてくれた本島由美子さん(PUBLiCAiR)いわく「韓国では前例のない活動なので、韓国語にするのが、とても難しい」という。「私だって、わかってやっているわけではないから、そもそも説明するのが難しい」と答えたのだが、説明をする確かなことばも探しつつ、もっともっとわからない方向へ突き進むべきだという確信も改めて感じている。
小林晴夫(2015.12.21)
箱庭の辺境で(2015_11-12)
10月3日(土)4日(日)10日(土)11日(日)12日(月・祝)と2週間続けてblanClassを「開放日」にした。「開放日ってなに?」と物議を醸し、そのたびに「ただ開放するのです」と答えていたのだが、実は岸井大輔率いる始末をかくチームによる、「始末をかく4|茶屋建築に求めてゆかなければならぬ」という街歩き演劇の辿り着く場所がblanClassだったというわけ。
blanClassの「開放日」と「始末をかく」の日程や時間帯がぴったり合っていたから、注意深い人は察していたかもしれない。でも、そうかと思うと、開放日にだけオープンしていた「ウラブラ珈琲」を目指して、何人かのお客様が訪れた。
ゆるゆるのウラブラたちとだらだらするお客さんたち、5〜6時間歩き回って疑心暗鬼なお客さんが、日没後blanClassで交差する様は、なかなかの見ものだった。そこでも最終日までは、真実を語れなかったわけだが…。
私も11日に、街歩きの観客として参加した。すでにだいぶネタバレ状態だったので、ほかの観客たちのようなニュートラルな驚きはなかったものの、だからこそ制作の裏表を両方受け入れながらの鑑賞となった。
戯曲の中心になっているクリエイティブシティーヨコハマの変遷には、どの事柄にも、一定の距離を置いて関わり続けたことばかりだったこともあり、その上、馬車道、みなとみらい、日の出町界隈、西戸部に
久保山、最後に南太田という道行きは、私にとっては、長年のお散歩コース。
坂だらけの街をさんざん登り降りした後、なんだかよくわからない
バラックのような建物の2階に誘われると、そこがblanClassです。
「ここはなんですか?」というのが、ほかのお客さんの正しい反応なのだが、私としては、目をつむっても、いつしか辿り着いている我が家に戻るという、極めて例外的なケースを味わうことになった。
戯曲は岸井の街歩き演劇の原点になった2001年のイベントを振り返るかたちで始まる。そこから15年足らずで大きく変わったかに見える横浜の文化遺跡を、あるいは、かつてはきっとなんらかの計画があったはずなのに、すでに朽ち果てたのか、かたち無き痕跡を通して、この街のいろいろのレイヤーに埋もれている物語を、未だにそこにあるものとして読み直していく作業だった。
45年以上、同じ場所から同じ街を眺めて、その印象を日々更新させながら、同じ場所に乗せてきたのだ。この小旅行で、そういう折り重なって貼りついた、もうすっかりひび割れた泥のようなものが、一瞬、剥けたような気がする。剥きだされたものは素顔だったのかはわからないが、岸井が示そうとしたものは地方都市に寄り添う文化の現状を丁寧に批判したものだったのだ。
街でも場所でも顔でも、時を重ねるとその上にドンドンなにかが重なってくる。物自体はそれほど変化する様子はないので、個人的な思い込みや社会的なすり込みで熟成していくのだろう、そのうち猫も杓子も重なっているもののほうを本体なのだと、馬鹿の一つ覚えみたいに連呼するようになる。もうもとの姿を忘れてしまったのだろうか? そうではなくて、はじめから見ていないのかもしれない。ただ重なっているものを剥がしてしまえば良いというものでもないのだろう。逆に丁寧に重なっているものを読み取ることぐらいしか、考えることの実践はないのかもしれない。
横浜の中心部は極小スケールで区画され、細かい単位で町名が区別されているために、実際のスケールよりも大きな街に錯覚してしまう。そんなミニチュアールに密集した箱庭の辺境に、blanClassは位置している。だからというわけではないが、あまり横浜を向いて仕事をしたことがない。ではどこを向いているのか? と問われると困ってしまうのだが、どこというのでもなく文化を発信し得る装置を模索している。ごく最近は「始末をかく4|茶屋建築に求めてゆかなければならぬ」のゴールがblanClassだったことに込められた批判が、なんだったのかを考えつつ、どうやったら、お互いがお互いを見たり聞いたり読みあうことができるのかを考えている。
小林晴夫(2015. 11-12. チラシ掲載)
学ぶということ(2015_1-3)
blanClassではコンテンポラリーな試みとモダンな形式への再考と、そのどちらとも言えないジャンルのジレンマや個人の経験から発する問題提起などが、未整理のまま錯綜している。それは芸術の考え方だけには収まっているはずもなく、それぞれのアーティストが持っている、社会というものの認識や思想だってバラバラなのだ。それはそのまま現在の社会の知性の地図を表しているのだろう。一口に多様といっても、理想とされているような多様とは様相が異なっているのだ。バラバラな考え方のなかには、実は類型的な考え方や型にはまった考え方も同時にあって、それらが複雑にリミックスしている。
だからといって、まだまだどれかに偏らせて考えるのは早すぎると思う。リミックスは混ざったものを混ざったまま受け取っていたのでは、表面的なカオスの快楽しか得られないものだ。逆に混沌状態が疲れるからといって、視野を狭く持って一つのことに拘っていても、いずれは煮詰まってしまうだろう。誰がなにをなぜ、自分の問題として主張しているのか、ある程度は受け入れないと、なにも整理ができないのではないだろうか?
若い人たちと出会うと「勉強しなさい」と、つい言ってしまう。私だって若かったころがあるし、散々言われてきた文言だから、そのウザさは共感もする。でもなんとかそれぞれに独自の視野で世のなかやこれまでの世界で起こったことなどを見渡すための挑戦をしてほしいと願ってしまう。
なぜならば、現在の世のなかにはびこっている、大小さまざまな「偏見」に辟易とするからだ。カモられたり、消費させられたり、誘導されたり、騙されたり、その逆に言い知れない怒りに震えたり、孤独に恐怖したり、差別したり、憐れんだり、決めつけたり、偽善ぶってみたり…。
「そう短絡しなさんな」と言いたい。つまり「わからない」とか、「知らない」とか、「できない」を素直に実感してほしい。自分に根拠を探したらどうしようもなく迷子になってしまうはずだから、そのことを大いに楽しんでほしいのだ。
「勉強」というと引いてしまうから、その代わりになんといったらいいだろう? 代わりの言葉は見つからないから、とりあえずもう5年はblanClassの運営をあれやこれやとやってみることにする。
小林晴夫(2015. 1-3. チラシ掲載)
「ここ」という世界の中心でなにを叫ぶか?(2015_9-10)
敗戦から70 年が経った。70 年前に終わった戦争のことを忘れてはならないと一口に言うが、若い世代にとっての70 年前の史実とはどんなものだろう? と我に返って、自分が生まれてから20 歳まで(1968 年~ 1988 年)のさらに70 年前を考えてみた。するとそれは1898 年(明治31 年)~ 1918 年(大正7 年)ぐらいのことで、第三次伊藤博文内閣に始まって、日露戦争、韓国統監府が設置され、伊藤博文が暗殺された後に韓国併合がなされ、そして第一次世界大戦が始まって終わるというような時代。つまり今から100 年以上も前の話になるのだ。
私が幼い頃、周りにはかろうじて関東大震災を経験した老人たちによる、未曾有の大災害の生々しい話が、口述されていたことを記憶しているが、100 年前にはその関東大震災もまだ起こっていなかったことになる。少なくとも、その頃の私にとっては日露戦争や第一次世界大戦のことは、あまりにも遠い霧の中の出来事のように思われていた。そう考えてみると、あれだけの大戦の記憶であっても、風化してしまうのは無理からぬことなのかもしれない。
関東大震災といえば、直後に起こった朝鮮人虐殺の事実を40 年以上も独自に研究している後藤周という人がいる。実はこの人、私の中学の担任だった人で、課外授業というと大袈裟だが、放課後の職員室で、私に広島長崎の原爆の被害について、水俣病の実態について、そして在日コリアンに対する不当な差別の話をしてくれた。先日、実に35 年ぶりに後藤先生に連絡をして、お食事をしながら、先生がこれまでに調べたことや活動の内容などを聞くことができた。というのも、ここのところ、この国を騒がせている「安保法案」や「ヘイトスピーチ」などを、どこから考えていいのか悩んでいたからだ。
後藤先生が関東大震災の研究を始めたきっかけは、郷里の岡山から初めて赴任した中学校の学区内にある宝生寺(横浜市南区)に関東大震災韓国人慰霊碑を見つけ、一つの歴史的な事件に対して、ある種の実感を得たことだったと言う。そういうローカルな視点こそがチャンスなのではないかと直感して、まずは先生に会ってみようと思い立ったわけだ。
blanClass はローカルな文化のリアルな姿を受け入れつつ、アーティストや参加者と共に考える場を目指して運営を続けている。それはインターナショナルとか、グローバルとか、ユニバーサルといった巨視的な視野を仮設した概念、あるいは経済的に設えられたポピュリズムやコマーシャリズムといった、現実には個人が客観化不能なイメージだけに支えられた使命のようなものに「待った」をかけたいからだ。ローカルというと、きっとドメスティックなものと誤解されたり、地域系の文化と混同されたりしてしまうかもしれない。それらは一見ローカルな文化に似ているけれど、結局は先に挙げたような巨視的なイメージに支えられた図式的な営みなのではないだろうか?
急いで自分の姿勢を社会に示さなければ、食い扶持もままならないような世の中だから、焦ってしまうのもしょうがないかもしれない。でも100 年前のことも、1000 年前のことも、10000 年前のことだって、どうせ目の前にあることを頼りに考えるほかないのだから、どこにでもあるはずの極めてローカルな「ここ」という世界の中心で、丁寧に考えていくしかない。
関東大震災の直後に起こった虐殺の記憶はblanClass にもほど近いところに、形になって幾つか点在している。いずれblanClass に関わっているアーティトたちも誘って、私もフィールドワークしてみようと思う。
小林晴夫(2015. 9-10. チラシ掲載)
ポリティックスが足りない(2015_6-7)
5月の「アジアで上演する」に、アイランドジャパンの伊藤悠、(株)大と小とレフ取締役の鈴木一郎太、両氏と共に、「好きにやれる状態を継続する、そのような社会が来るまで」というお題で私も登壇者として参加した。
その日の話題は、それぞれの活動の話のほかに、たとえばアーティストが求められていることが固定化されてしまっている現状をどのように組み替えていけるか? ということが中心になっていたように思う。興味深かったのは鈴木氏の「日本でアートをするにはアーティストという肩書きを名乗らないほうが、アートを実践しやすい」といったような内容の発言だった。これはアーティストに限ったことではなくて、日本の社会の現状では、それぞれの役割やアイデンティティーが、とてもナイーブなイメージに回収されて、居心地の悪い場所に固定化されているような気がしてしまう。成熟してしまった社会というものは、常にそうしたことが起こるものなのかもしれないが、適材適所に人材が配置していないような気がするのだ。
それはどうも「だれかが既得権益を貪って、良からぬ政治によってコントロールしているからだ」とだけは言い切れない気がする。ある知人が「ほとんどの人はノンポリティックスで、善良な人だ」と言っていたが、そういうポリティックスへの無関心というか、拒否反応みたいなものがはびこっているようなのだ。知人の言うポリティックスとは、決して政治屋さんが独占している政治のことではない。日常的にだれもが経済に関与しているようなレベルで起こる、自分が居合わせる場所を、常により良い場に創造していく営みのことだ。カジュアルなレベルでも経済や政治や文化をそれぞれに断絶して、あたかも関係ないものとして考えていったとしたら、なんだかそこにあるのはむき出しの人間関係とか、あるいは装われた体裁だけになってしまう。そうなってから、たとえばポリティックスをするとなったら、確かに「めんどくさい」。
きっとノンポリが増産されているの理由の一つに「めんどくさい」があるに違いない。でも「めんどくさい」ところに共有された問題が隠されているのも確かなこと。その上「めんどくさい」は発明の父でもあるわけだから、いかに「めんどくさい」ことを楽しくやってのけるかというところが、個人の工夫のしどころ。つまりその工夫こそが本来の意味でのポリティックスだと言いたいわけだ。
「めんどくさい」を改めてポジティブな概念として迎え入れることができれば、ポリティックスという言葉にまとわりついている狡猾なイメージを払拭して、よりカジュアルにポリティックスを、細々とした工夫を、面白おかしく生きていくことができるのではないか? などと考えている。
小林晴夫(2015. 6-7. チラシ掲載)
空気をつくろう(2015_4-5)
先日、3月14日と15日のblanClassのイベントは、当初1日だけ佐々瞬にお願いし、告知していたものが、大幅に更新されて、佐々に加え岩田浩、趙純恵が共同でつくり出した、これまでにないイベントになった。「それら について話すこと」と題されたそのイベントは、当初は演劇的な試みとして制作されていたかのように思われた。だがふたを開けてみると、1日目、2日目と回を重ねて、より作品とは到底呼べない、3人の価値観が未来に向けて、慎重に交わされる状態が、そのまま示されたものだった。
特に2日目の彼らの振る舞いは、観客も無視したような没入した会話そのものだった。だからとても急進的で、blanClassだからギリギリ成立したようなもので(それもかなり疑わしいが?)、一歩外に出てしまえば、受け入先のない行為にも思えるし、それぞれが日々に課し、時間をかけて生き抜いてこその思想的な態度にも見えた。
なにかの発言を、どんなに慎重にするとしても、どこかの領域で、結果的になんらかのジャンルや形式に回収されてしまう。そういう振る舞いは、やっているのか、やらされているのか、どちらともいえない自意識の中で、半ば強制的に決定されてしまうものだ。だからその日の彼らの姿勢は「作品化」に対する抵抗のようにも見えたが、一方で、その前提になっている、社会や政治みたいなものまでをつくろうという行為そのものにも見えた。
ふと、彼らがつくろうとしているのは「空気」なのではないかと思った。
放っておくと世の中には良からぬ空気が充満してしまう。オウムだとかISISなんかが意図的につくり出す不穏な空気もあれば、だれがつくり出したのかわからない、差別や偏見に満ちた得体の知れない空気に、時折、押し潰されそうになる。
もしかするとこれからの20年をサヴァイヴするということは、厳しい貧困を生き抜くほかに、無根拠で恥知らずに膨れ上がる空気に対抗するということかもしれない。形も根もない空気とどうやって戦えばいいのだろうと、辟易としていたのだが、なるほど敵が空気なのだから、こちらも空気をつくって対抗したらいいかもしれない。どんなことでも試すことのできる「場」を模索しつつ、これからは「空気」も一緒につくっていきましょう。
小林晴夫(2015. 4-5. チラシ掲載)
blanClass+portfolio(2014)
art & river bank 「depositors meeting #12」に、今年もポートフォリオを出展する。これが6回目。今年も昨年同様セレクターとして棚がもらえたので、blanClass friendsから何組かのファイルが一緒に並ぶ予定。昨年の反省もあって1年間にblanClassに出演したアーティストみんなに声をかけた。
今年は裏テーマがあって、それは「土曜日のゲストにできるだけ初登場のアーティストを呼ぶ」ことだった。というのが誰だったかというと、鷲尾蓉子、窪田久美子、二十二会(渡辺美帆子、遠藤麻衣)、津田道子、小沢裕子、寒川晶子、地主麻衣子、太湯雅晴、岸井大輔、千葉正也、前沢知子、高川和也、Bricola Q(藤原ちから、落雅季子ほか)、SPACE OPERA(三野舞果、藤川琢史、小山友也)、荒木悠、大川原脩平、早川祐太×高石 晃、小山陽子、鎌田友介、関真奈美、松田修、山田崇、原田賢幸、平倉圭、高橋耕平の25組がblanClass初出演か、もしくはソロイベントが始めてという方々。今年はLive Artは全部で41イベントだったので、半分以上のイベントが初登場ゲストによるイベントになった。
これだけ初のソロイベントが増えたのには、もう一つそれを底上げした出来事がある。というのは昨年の新年企画に引き続き、The Academy of Alter-Globalization+森田浩彰Vol.3[新年度プレゼン大会]を3月29日に行ったのだが、結果的に11エントリー中8組がblanClassで実行することになった。最後まで、ルールを明確にしなかったがために、積極的には絞り込まない仕掛けになってしまったわけだ。というわけで、8組のプランをスケジュールに組み込まなければならなくなり、全部をソロイベントにすると、おかしなことになってしまうので、ソロで発表してもらった4組(吉田和貴、大川原脩平、小山陽子、高橋耕平)のほかに、話し合いによりコンピレーションで4組(関園子とサブ、武久絵里、増本泰斗、村田紗樹)まとめて発表して頂くことにしてなんとか収めた。
もう一人だけ、奥村雄樹の二度目の出演において、シュウゾウ・アヅチ・ガリバーがゲスト出演したことも特記しておく。
今年初の試みだったのは昨年10月から3ヶ月間行っていた中村達哉ダンス・ワークショップ「かかわりをおどる」の発表をしたこと。これは3ヶ月間という期間も発表も含めて中村達哉と話し合って考えた企画なのだが、非常に丁寧な個別な対話を積み重ねて形にしていった。相互に交わされたのが言葉だけでなくそれぞれの身体のボキャブラリーが前提になっていたのが面白く、ダンス以外のワークショップでも同様の試みができないか、現在思案中。
3月には昨年トラブルで出し損ねていた2011年に新・港村で多田正美を中心に行った「西浦の田楽」というパフォーマンスのDVDを発行し、やり直しの発行記念パーティーを行った。
今年は外部の組織との共同企画などはほとんどなかった年なのだが唯一、吉田和貴企画のイベントとして11月23日に長野県塩尻市に出張した。これは少しややこしいが、「しおじりまちの教室」という地方活性のプログラムの一枠を吉田氏がコーディネートすることになり、ゲストとしてblanClassが呼ばれたのだが、このプログラムを塩尻で行おうとした仕掛け人の「nanoda」というオルタナティブスペースの山田崇をゲストにが逆指名したというループ状態になっている。
土曜日以外の時間で行っている月イチ・セッションでは、眞島竜男レクチャーシリーズ「どうして、そんなにも、ナショナルなのか?」全12回が2月に終った。これはレポートにまとめたいと思っているが、なかなか作業が進んでいない。9月からは岸井大輔「アジアで上演する」が全12回の予定で始まった。これは4回のトークセッションから始まって、上演の形態に展開していくセッション。杉田敦のナノスクールは始まってから2年経って、「イドガヤビエンナーレ」という展覧会も開催した。この展覧会はビエンナーレにもかかわらず、会期が3年に延長され現在も開催中。CAMPは4月から始まった7人の画家たち(今井俊介、佐々木健、五月女哲平、立花博司、大槻英世、荻野僚介、末永史尚)が持ち回りで企画していくという「えをかくこと」というトークセッションのシリーズが12月にいったん完結した。これはトークセッションというよりも、それぞれの作家の制作の動機に遡ったパフォーマティブな企画が際立っていたかもしれない。
さて個人的には今年の一番大きなトピックは10月をもって、blanClassが5周年を迎えたこと。5年ごときで大騒ぎするわけでもないが、blanClassを始めるときに、とりあえず何年やったら、人々に認識してもらえるかをボンヤリ考えたときに設定したのが5年だった。実際にどの程度人々に認識されたかわからないし、社会化には程遠い状態ではあるのだろうが、それでも5年間でやろうとしていたことは一段落した気がする。もちろんまだまだこれからもこれまで通り、土曜日のイベントは毎週やっていこうと思っているのけれど、本心からやっとスタート地点に立った感慨がある。
一息ついたところで、現在これからのblanClassの5年間を考え始めている。blanClassには、スペース、アーカイブという大きく2つの場でできることをクロープンに模索してきた。それは実際の場所とインターネット上のサイトの間でできることという意味でもあるのだが、それぞれにできることを、これからどちらの方向に拡張していけるかということが課題だろう。来年あたりから、それぞれの場、それぞれ一つずつぐらい拡張事業を試してみようと思っている。
年内に計画していて間に合わなかった企画があって、それは5周年を記念した本の出版。5年分のアーカイブを眺めながら眞島竜男と一緒に対談をした。5周年記念イベントに間に合わせたかったのだが、その作業の多さを前に、客観的な視野を失って、現在まだ格闘中なのだ。なんとか来年の頭には出版したい。
5周年記念パーティーでの増本泰斗が提案したモバイルキッチンをめぐるパフォーマティブな試みや隔月で行っている土曜CAMPの「ホテルCAMP」内でのサプライズパーティー、これまでにないアニバーサリーな反応に、あらためてblanClassのフレンド的なアーティストの存在を実感した。彼ら彼女らと、それぞれ個別な実験と実践が始まったら、行き先のしれない面白い事態がまた起こるだろうと想像している。
小林晴夫(blanClassディレクター・アーティスト)
楽観的にいきましょう。(2014_11-12)
現在の金融型資本主義経済をこのまま放っておくと、世界中の経済格差は開いていく一方なのだそうだ。ということは、オリンピックで盛りあがって、久々のバブルがやってきて、景気が良くなればなるほど、ごく一部の冨が膨れ上がるだけで、貧困はより一層深刻化していくということだ。
そして格差を食い止める方法は、富裕層に重い税を課していくか、中間層や貧困層の所得を底上げしていくかの2つの選択肢しかないという話になる。当然富裕層や財界は重い税に対して猛烈な反発をするだろうし、どちらかといえば強い力を持って権力を誘導するだろう。反対に中間層や貧困層は権力に対して不満を溜めてくことになる。
表面的には多種多様なジャンルの情報が飛び交っているように見えるけれど、実際には支配的な価値観を真ん中に置いて、二極化が進んでいる。その根っこの思想は1つの経済に向かって回収されていくようなのだ。
たとえうまくして格差が縮まったとしても、なぜか面白い未来が想像できない。そうなったら、今以上に階層が安定した状態で固定化してしまう気がするからだ。それどころか、もうとっくに意外な場所に意外な人材が出てくる気配がしない。適材適所に人が配置されているといえば聞こえがいいが、新陳代謝といったらいいか、もっとデタラメに階層がシャッフルされて、どこにいっても場違いな人がいて、無茶な挑戦をしていたらいいのにと思う。
そうした経済だけを根拠にした現状に気がついてしまうと、偏見に満ちた悲観的なムードも無理からぬことだと思う。しかも悲観的な考え方は狭く見れば、いかにも辻褄が合っている。でもやっぱりそれは考えることをあきらめる姿勢にほかならない。悲観的なムードが高まれば高まるほど、どうせろくなことは起こらないに決まっているのだ。
もちろん自分が目の当たりにしている貧困にもゾッとするが、あえて楽観的に考えることにしたい。たとえば格差を縮める方法は本当に2つの選択肢しかないのだろうか? 経済が向かうべき方向は本当にたった1つしかないのだろうか? もしもそれが免れないことであったとしても、個人のレベルや小さなシステムでこそ試せることもあるのではないだろうか? お金持ちにしてやられるだけでなく、お国の政策を頼りにするだけでなく、だれかに媚びるわけでもなく、なにかとてもオリジナルな経済がそこここに実践されることを期待してやまない。
さてblanClassも6年目に入りました。期待しているだけでもいけないので、アートをツールにこれからも、あれやこれやとあくまでも楽観的にやっていきます。
小林晴夫(2014. 11-12 チラシ掲載)
モバイルキッチンはアートの未来を切り開けるか?(2014_9-10)
この10月でblanClass も5周年になります。5年ごときであまり大げさに騒ぐのも恥ずかしい気もするのですが、昨年はお祝いをしなかったので、今年はいくつか5周年記念企画を用意しました。
1つ目は眞島竜男と小林晴夫による対談形式で、blanClassについての本「THIS IS NOT ARCHIVE(仮題)」を制作中。「アーカイブではない」といっておきながら、対談の内容に呼応するように、写真つきのアーカイブも掲載するつもりです。対談の内容は。blanClassで起こったイベントがそれぞれどんなケースだったのか? キーワードを探していくというもの。目次を見れば、アーティストたちが抱えた「課題」や「方法」が一覧できます。もしかすると、10年後、20年後に本を見返したときに、この5年間のアートシーンが透けて見えるかもしれません。10月26日(日)には、この本の出版記念パーティー&トークを出版元のBankARTで行います。
2つ目は、10月18日(土)に、blanClassでもお祝いをします。こちらの方は振り返ってばかりではつまらないので、少しだけ今後の変化を予感できるような、イベントでもあり、パーティーでもある企画、「モバイルキッチンでできること」を開催します。
発端は、今年3月29日に行った「プレゼン大会」で、増本泰斗がエントリーしたプラン「blanClassをリノベーション」をベースにしています。その後、増本とblanClassが話し合いを重ねて辿り着いたのが「モバイルキッチン」というわけです。
当日はアーティストからの問いかけに応じて、4組のアーティスト(河口遥、佐々瞬、二十二会、増本泰斗)が「モバイルキッチンでご飯をつくることで社会らしきものをつくること」という課題のもと、来場者に料理を振る舞います。(あるいはモバイルキッチンでできるパフォーマンス?)
blanClassの土曜日のイベントには、これまでもちょっとした軽食を出していましたが、「モバイルキッチン」が登場することで、だれでも「料理すること」ができるようになります。「モバイルキッチン」は、新たなblanClassのアプローチすべき課題になり得るか? もしくは、これまでになかった課題を探り当てる起点になるでしょうか?
9月-10月のblanClassも2014年度プレゼン大会確定プランから、大川原脩平、小山陽子がそれぞれソロイベントをします。実は今年の裏テーマは初めての出演者をたくさん呼ぶことでした。というわけで、荒木悠、早川祐太×高石晃、鎌田友介、関真奈美と初登場のアーティストてんこ盛りでお送りします。また月イチ・セッションに新しく、岸井大輔が加わり、アジアから考え、上演で表現する、多ジャンルのアーティストにスポットをあて、インタビュー、トークセッション、コラボレーションワークを行います。
小林晴夫(2014.9-10.チラシ掲載)
未来形臨床芸術へのお誘い(2014_6-7)
5月から「blanClass membership」をはじめました。
blanClass membershipには、年間何度も参加される方にお得なスタンダードメンバー、応援を主眼にしたプレミアムメンバー、ご支援を主眼としたサポートメンバーの大きく3種類、さらにそれぞれ特典が違うメンバーシップをいくつかご用意しました。
個人向けのメンバーシップですが、サポートメンバーのパトロンシップは年会費¥1000,000と、もしかすると冗談と思われる方もいるかもしれません。が、その冗談が本当になることを願って、あえてこういうメンバーシップ制度を提案してみました。だからその実はかなりシリアスな問いかけでもあります。
活動開始以来、blanClassはアーティストが用意した答えを発表する場というより、作品の手前にでてくるさまざまな問題を、いろいろなかたちで試してみる場に変化してきました。
いろいろなかたちとは、Web上に山積してきたカテゴリーをみてもわかる通り、パフォーマンス、ワークショップ、ダンス、映画、演劇などは当たり前、参加型作品、セミナー、投票、コレクティブアクト・パーティシペーション、ヤミナベ、遊歩演劇、機械ショー、選択式体験型パフォーマンスと、まだまだ増える一方で、なかにはクライミング、映像のようなもの、ネゴシエーションなんてのもあったりして、もはや造形性に裏打ちされる形式では括れない、本当にいろいろなかたちをとって試されてきましたが、当然、貴重な記録もどんどん増えています。
なにもかもが、複雑に細分化され、ジャンル化してしまった感のある現在の文化状況にあって、アートもサブカルも自然科学もネイチャーも、本来は相変わらず未分化の状態で、バラバラなものがバラバラのままに混沌としているようにも思うのです。
これまでの分け方自体を見直すことが、アーティストに限らず、多くの人々の重大な関心事であることは間違いないらしく、そのことは作家、作品、観客や参加者といった分け方にもおよんでいて、かつてあったかのように思われていた線引きだってどこまでもグレーな状態です。
「blanClass membership」を発足するにあたって、今後のblanClassの活動を通して、今後はさらにアーティストと、Live Artの枠を踏み越えた発展的な実践や試みをしていきたいと考えています。そしてその財源や目的も含めて、だれがなんのためになにをシェアしていくべきかを、より具体的に考えていきたいと思っています。
というわけで、アーカイブを含めたblanClassの今後の活動、アーティストの活動の下支え、ひいては参加するすべての人にとっての未来型の臨床芸術? への応援、ご支援、ご協力をしていただけるメンバーを広く募集します。
小林晴夫(2014.5.10)
武装解除する(2014_4-5)
1950年代以降アメリカ経済が発明した消費誘導型情報化社会はさまざまなイメージの差異化を武器に多くの「対立」を創造してきた。現在では「対立項」はどんどん細分化されて、「びみょう」に異なる「商品価値」を世界中のありとあらゆる市場に成立させている。
しかし真逆に、「共存」を標榜した多くの思想も立ち上がってきた。そういう思想を背景に生まれた「Contemporary Art」とは、実は「同じ時間を共に生きる芸術」という意味。以来、複雑に入り組んだ社会で、多様な価値観の「共存」が目指すべき方向性であることは、多くの人が「共有」しているはずなのだが、その方法はとても難しいらしい。
もしかすると、知らず知らずのうちに、いろいろなものを楯に、それぞれが「武装」してしまうからかもしれない。
本物の紛争地帯で武装解除を仕事にしている瀬谷ルミ子を扱ったドキュメンタリーで、幼い頃から武器を持って戦っていた子供のケアをする場面があった。「武器を置いてなにをしたいか?」という瀬谷の問いかけに、その子供は「学校に行きたい」と切実な思いを打ち明けた。
世界のどこかの紛争地帯やスラムを例にするのは、少し大げさに聞こえるかもしれないが、身近なこの社会にも似たような図式は消え去ってはいない。だれもがなにかにおびえ、なにかに怒り、それぞれの武器を手に入れては入念に武装しているように見える。手に入れてしまった武器を置くのは勇気がいるし、そのかわりに学び続けなければならないだろうから、面倒くさいだろう。
では一時だけ「にじり戸」の前に二本の刀を置いてみるのはどうだろう? またもとの社会に戻るときには持って帰ればいい。
balnClassは人里離れた山小屋でもないし、風流を極めた茶室でもないだろうが、武器持参で入室するところでもないようで、外では強面のアーティストたちが、ここではそれぞれ膝をつきあわせて、じっくり思考を巡らせている。言い換えれば、第二のスタジオとして、その場で考えたり、なにかを試したり、途中のことを交換できる場として機能し始めているようなのだ。
実は最近、奇跡的に生まれたこの状況こそが「共存」の方法を探す唯一の手だてなのではないかと思っている。そのためにもblanClassが地球上で最後の場所になっても、武装解除せざるを得ない場であればいい。
小林晴夫
言語がなければ生きていけない。(2014_1-3)
blanClass出演依頼をする際に「ワンナイトで完結することならばどんなことでもいいが、最近なんとなく気になっているような、形にならないことでも構わないので、ほかの場所ではできないことをやってほしい。」と、ゲストの方々に言っているうち、いつしかblanClassは、さまざまな世代のアーティストたちが、作品未満の「考え」を試してみる場になった。
そんな状態のことを指して「友だち以上、作品未満」と言ったことがある。半ば冗談のつもりもあったが、後になってうまいこと言ったなと一人で喜んだ。「友だち以上」というのがいい。「友だち」では馴れ合いのようだし、「友だち以下」では取りつく島もない。「作品未満」の問題を抱えて、お互いに「友だち以上」の関係を探っていく。必要なのは、いくらかの条件とちょっとした約束だけ。それがblanClassの目指すところだといっても過言ではない。
では、そうやって投げ出されたものとはなんなのか? 「ことば」になって、わかったような気になっている「問題」や「概念」や「状態」をほどいてみたり、文字通りやってみたりすると、まったく違った「状況」や「関係」が浮かび上がってくる。アートがこれまでにやってきたことと大差ないと思われるかもしれないが、手が届く問題意識の中にこそ「社会性」や「政治性」が備わっているもの。「作品」という枠組みをさらに踏み越えたところで考えることが可能であれば、まだまだ確かめられていないことばかりなのに気がつくだろう。
もちろん「ことば」だけが「言語」であるはずもなく、形骸化された形式やジャンルをいくら批判しても、その底にある「唄う」とか「踊る」とか「描く」とかまでは否定しきれない。もっというと「見る」とか「聞く」とか「嗅ぐ」とか「触る」とかのなかに言語のメカニズムが備わっているはずだから…。どちらにしても言語がなければ生きていけない。
小林晴夫
blanClass+portfolio(2013)
art & river bank 「depositors meeting #11」に、今年もポートフォリオを出展する。これが5回目、またまた1年が経った。今年はセレクターとして棚がもらえたので、blanClass friendsから何組かのファイルが一緒に並ぶ予定。セレクターというのがなんなのか、よくわかっていなかったので、今年blanClassに出演したアーティストみんなに声をかければよかったと、ちょっと後悔しているところ。
今年のお正月はThe Academy of Alter-Globalization(秋山友佳、原田晋、増本泰斗)+森田浩彰企画による「新年プレゼン大会」だった。きっかけは「MOT ANNUAL 2012|風が吹けば桶屋が儲かる」の勝手に関連企画の一環として、森田浩彰に「新年パーティーを企画してほしい」と依頼したところ(ちなみに前年のクリスマスパーティーは山城大督にお願いした)、森田が逆に投げかけてきたのが、これまでのblanClassのディレクションではできなかったことの提案だった。簡単に言うと「blanClassでのパフォーマンスやワークショップのプランを公募して、応募者によるプレゼンテーション大会」ということなのだが、森田はさらに共同の企画運営をAAGに依頼、「re:plan (素人のように考え、玄人として実行する?)」というコンセプトをサブタイトルに据え、来場したお客さんと一緒にゆるやかに話し合いながら実行するプランを選出していった。
ともするとマンネリ化してしまう日々の運営やディレクションを「どうやったら理想的に展開していくべきか?」悶々と悩んでいた私は、この企画からずいぶんと刺激を受けた。ディレクターやスタッフで完結したシステムをつくるのではなく、裏方部分も含めて風通しを良くしておけば、自ずと相応しい方向に向かっていくかもしれない。もちろんそこには信頼に根ざした丁寧な関係をもつくっていかなければいけないだろうが。
2月と3月に、2日または3日連続の企画を、武久絵里・馬君馳、岡田貞子、渡邊トシフミ、A子(松本真幸)、O,1、2人(外島貴幸+吉田正幸)5組のアーティストたちにお願いした。それまで「お約束」の1つでもあった「ワンナイトで完結」だが、例外的に複数の日程でやった企画もあり、意図的にそちらに仕向けたら、これまでにない企画が生まれないか試しにやってみたもの。結果出てきたものは、before & after的な発想と、丸2日寝ないでぶっ続け的な参加型のもの。まだまだ試したらいろんなアイデアが出てくるだろうから、これはまたいずれやってみようと思っている。
4月は港が一番いい季節にBankART MINIに2週間の出張blanClass。たまる一方のアーカイブをなんらかの方法でアウトプットしなければ! というのが、これからの大きな課題。その試み第1弾が『対談集 写真か?|鷹野隆大+秦雅則』、DVD「西浦の田楽|多田正美 w/鈴木理策」(DVDはトラブルがあり、リリースを延期、年内にリリースすべく現在もなお準備中)の発行。それらを記念して行ったのが「blanClass Anthology #1」の完全出張。期間中、鷹野隆大+秦雅則2人展を開催。土曜のLive Artは、鷹野隆大+秦雅則トークイベント、多田正美、中川敏光のパフォーマンスイベント。昨年末からはじめた拡張計画もすべて出張します。杉田敦[ナノスクール #6]、CAMP[translations #5]、眞島竜男[DSN #4]、BC写真大学修了展、BC写真大学講評会、というわけで、出張全体がアンソロジーだった。
6月7月は「参院選ビフォアー&アフター2013」。2ヶ月分の全企画のテーマを「参院選/選挙/投票」の1つに統一したことも、それもポリティカルに攻めてみたのも初めてだった。
きっかけは2つあって、1つは昨年末の衆議院総選挙の圧倒的な結果と、そればかりかその結果が投票に行く前から、分かってしまっていたことへの落胆。もう1つは、投票日の朝、眞島竜男さんから開票にあわせて「踊ります」から、場所を使わせてほしいと依頼があり、眞島さん宛に投票がらみのTwitterの数×1分間の踊り、計101分の踊り終えた満身創痍の眞島さんはそのまま泊まり、翌日から参院選までの間、毎日2分間の「今日の踊り」(YouTube)が展開したのだが、そのアーティストの壮絶(と言いたい)な生き様にただただ感動して、その一挙上映会と公開「踊ります 2013年参議院選挙」をやりたいと思ったこと。どうせなら2ヶ月かすべてを「参院選」に向けてやってしまおうというのが事の次第。
唯一アフター担当だった良知暁が「選挙」を問題にしたアートイベントはありそうであまりないから、続けてやった方がいいと言っていたが、いつも個人的に選挙に行くだけで、いろいろと作戦立てたり、考えたり、話し合ったことって、これまでなかったな、と確かに思い、個人的にもかなり希有な2ヶ月間になった。政治だって、経済だって、科学だって、芸術だって、手元に引きずりこんで、「ウンウン」考えた方が良いに決まっているから、これもそのうちやることにするか。
今年はもう1つ、2月に森美術館に、CAMPやAITとともに呼ばれて、昨今「Discursive」に展開しているアーティスト・イニシアティブについての企画を「六本木クロッシング」でやりたい、ついては相談に乗ってくれないかというような依頼を受けた。考えてみると森美術館と本番も含めて話し合いや準備をほぼ1年間していたことになる。
展覧会のタイトルは森美術館10周年記念展「六本木クロッシング2013|アウト・オブ・ダウト」展、関連企画は「ディスカーシブ・プラットホーム」に、blanClassは2回森美術館に出張することになった。そこでなにをしようとして、結果なにが起こったかを振り返って考えてみると、まずはblanClassが創立当初から継続的に行われてきたイベントから選ぶことと、blanClassが企画する以上は「ディスカーシブ」というよりも、すべてにおいて「パフォーマティブ」になってしまうということだった。
そこで1つ目のイベントには2007年の「六本木クロッシング」にも参加していた眞島竜男をお願いした。というのも「クロッシング」で眞島が試そうとしていたことが、blanClassで行われた眞島の一連のパフォーマンスで、ある意味開陳したように感じていたからだ。特に3.11以降にblanClassで発表された眞島作品は目を見張るものがある。美術という日本の文化圏特有のフィールドを思考の拠点に、現状の社会をその都度翻訳するような姿勢は類を見ない。blanClassのなかでも斗出して成熟しているように感じる。その眞島作品を一挙再演という形で、美術館や展覧会という制度に戻していく作業は批判的な意味においても意味があることに思えた。
もう1つは成熟とは真逆のもっともナイーブな表現、この先どうなっていくか未知の、だからこそ未来の予感に満ちた若いアーティストたちのパフォーマンス・マラソンだ。これまでに行った、ステューデントナイト(vol.1〜vol.9)とヤンゲスト・アーティスト・マラソンに参加したアーティストを呼ぶことにした。ところがその数約80組。12時間開館している森美術館とはいえ1日ではさすがに収まらない。選抜するしかないのだが、その方法には正直悩んだ。そこで、1月に行ったAAG+森田浩彰「新年プレゼン大会」とちょうど企画中だった「参院選ビフォアー&アフター2013」で考えていたことを実践してみることだった。まず試してみたかったのが、web投票。投票や投票誘導活動に関して、ほぼルールを定めず、どんなことでもありの「選挙みたいな」ことを通して、世間で起こっている「選挙」、「オリンピック誘致」、「日展のこと」、どうせなら「AKB」なんかも含めて、そこで人はどうやって選んで、どうやって選ばれるのかを考えてみてほしかった。だからそこには不正は準備されておらず、すべてが公正な表現と見なされる仕掛けだ。少なくともそういった意味のミッションをエントリーをお願いした作家たちには送ったつもりだった。結果的に物議をかもした最終プレゼン大会にもさらに上乗せした「パフォーマンス」が隠されていて、審査員としてジャッジに参加したAAG、森田浩彰等は、WEB投票から本番のラウンドテーブルの設計から運営まで協働で立ち会ってくれた。そうやって積み重なれたそれぞれの思惑が本番の「from studen night」では、見事に多層に1つの場にレイヤーをつくって、あるいはノイズになって共存していた。
もともとその場は森美術館であり、六本木クロッシングであり、アウト・オブ・ダウトであり、片岡真美であり、プロジェクト福島である層の上の中崎透の風呂敷上にある。さらに乗っかったblanClassの下請けの層に孫請けのAAGと森田の層があって、ひ孫請けのステューデンツな層が重なったわけだから、時間も長いし、疲れもあって、朦朧とする中に、ハラハラドキドキ騒がしくって、それでいてとても静かな居心地の良い場が、一瞬ではあるが立ち現れ、いろいろの意味や価値が対立しつつ、批判しつつ、でもきっと共存できたのではないだろうか?(それってちょっとプレジェクト福島っぽいけど)
どこに行っても、blanClassは本質的には無色透明の自由な場をデザインできるよ。と言いたかったわけだが、本当にできたかどうかは、相当私も当事者だから、わからないのが正直なところ。ラウンドテーブルでは、器としてあった制度と、何段階かにステップしてきたそれぞれのアプローチを中心に話が進んだが、本番が一番世間に近いところだから、そうやって曝されると、もっと複雑に入り交じったコードで、またぞろ誰かに選ばれたり、選ばれなかったりしていくわけだけど、今回の企画で選ばれた人も選ばれなかった人も、そもそもエントリーしなかった人たちでさえ、本人がその気になれば、実は同じような位置で考えを巡らせることができたはず。その証拠に森美の運営側で全面協力してくれたエデュケーターの白木栄世さん、アシスタント・キュレーターの水田紗弥子さんが私の目からは一番楽しんでいるようにみえた。(気のせいかもしれないけど)
それでも結局は個別にあった内容が重要のはず。少なくとも私は、私の役割にてんてこ舞いになりながらも、結構丁寧につきあったつもりだ。それはblanClassでささやかにやっているときもまったく同じだ。今年はほかに画家をたくさん呼ぼうと思いつつ、荻野僚介、佐々木健の絵画にまつわるイベントのみになってしまった。また中村達哉ダンスワークショップや池宮中夫ソロダンスと、ダンスのイベントもやっている。来年は音楽にも手を伸ばしたいと思っているのだが、アートの中身を問う際の主題のあり方と形式のズレ、観客が混ざってくれないなどの難しい問題も多々あるものの、眞島竜男の「今日の踊り」ではないが、人が原初的に抱えている「踊る」とか「唄う」とか「描く」みたいなことがなんなのかも、どんどん考えていきたいと思う今日この頃…。
小林晴夫(blanClassディレクター・アーティスト)
シリアスな娯楽 (2013_11-12)
もうずいぶん昔の話になるが、湾岸戦争中のニューヨークで「反戦の集い」を名目にしたパフォーマンス・マラソンに行ったことがある。にぎやかな会で、明るいKlezmerの演奏に始まって、コミカルだったり、過激だったりするパフォーマンスが夜っぴいて展開された。時折、激しい議論の場に変貌する一幕もあったが、終止楽しい雰囲気に満たされた会だった。その独特な雰囲気と「反戦」のギャップに戸惑い、一緒に来ていた友人になぜこんな会を開く必要があるのかを訪ねた。彼は「なにかのアクションを企てるにせよ、まずは同じ意見を持った人たちが集まって、意思を確認することが必要なんだ」と説明してくれた。生まれて初めて戦時下の不思議な夜を味わって、その楽しいひとときがかけがえのない時間となった。
blanClassに毎月お呼びするようになってから1年になるCAMPのディレクター井上文雄は口癖のように「楽しくなければいけない」と言う。CAMPを運営する唯一の目的は自身が楽しむことなのだそうだ。
そういえばBゼミの主宰者だった父の小林昭夫も始終似たようなことを言っていた。「Bゼミを続けている理由は自分が勉強をするのに、最も手っ取り早い方法だから」というわけ。
たぶん私も同じように考えているに違いない。一人でなにものをかを考えるのはしんどい。どうせなら誰かがなにかをひらめくその瞬間に立ち会って、できるかどうかわからない翻訳を施しつつ、交換でき得る最善の言葉を手探りしていたいのだ。
「娯楽」と言ってしまうと、誤解を招くかもしれないし、「楽しい」と言っても同じことだが、その「楽しい娯楽」に「シリアス」さが加わるとわけが違う。切実であればあるほどに、脳が縮むほどストレスフルな時間になってしまうかもしれないが、そういう時間がなければ死んでしまう。
最近、blanClassがほんの少しだけ消費されて、間違ったイメージを持たれていないかが心配になる。もちろんただふざけているわけでも、観客に媚び諂って、いわゆる「娯楽」を提供しようとしているわけでもないが、くそまじめに構えているわけでもない。世に叛乱する、紋切り型の楽しみとは、違う種類の「楽しくって、シリアスな娯楽」みたいなものが、ここでは展開しているのだ。
さて11月—12月のblanClassは森美術館10周年記念展「六本木クロッシング2013|アウト・オブ・ダウト」展の関連企画である「ディスカーシブ・プラットフォーム」に参加することになり、森美術館に2回出張することになった。出張内容は、11月16日(土)に3.11以降にblanClassで発表された眞島竜男作品の再演、12月14日(土)には、これまでステューデントナイトに出演した若いアーティストたちからエントリーしてもらい、さらにweb投票や最終審査を通過した選抜10組+αのパフォーマンスマラソンという、2つの企画。ちっとも「ディスカーシブ」ではない気もするが、「表現ありき」がblanClassの心情なのでしょうがない。それぞれトークやインタビューの時間もあるので、それなりに「ディスカーシブ」感も味わえるかもしれない。
2つ目の企画の最終審査はAITに出張して、The Academy of Alter-Globalizationと森田浩彰を審査員に迎え、ユニークかつオリジナルな方法で、12/14に出演する作家たちを選考する。この最終選考会自体もある主張を持ったパフォーマンスでもあり、参加者と共にいろいろと(たとえばフェアネスについて)考えを巡らせていきたい。
blanClassが出張する代わり(仕返し)に、森美術館とAITをblanClassにゲストとしてお招きすることにした。当然のことながらお呼びする条件はほかのゲストと一緒で、ワンナイトで完結することならばどんなことでもOK。これらも楽しみ…。
ほかにも最若手の作家、藤川琢史は測り続けるし、画家として佐々木健は生本番で絵(私を)を描くし、今年最後のLive Artは1年ぶりに池宮中夫ソロダンス。11月から3ヶ月間、中村達哉ダンス・ワークショップも始まるし、と目白押しのblanClassをどうぞよろしく。
小林 晴夫(2013.11-12チラシ掲載)
経験と情報の間で “trial and error”する。(2013.9-10)
昨年の秋から、月1回のペースで連続しつつ読み切りのトーク&レクチャーシリーズを展開してきた。とりあえず「拡張計画」と呼んできたが、いつまでも計画というのもおかしいので、今回から「月イチ・セッション」と、これまたとりあえず呼んでみることにする。
そのシリーズに杉田敦「ナノ・スクール」というのがある。スクールの規模もさることながら、扱うコンテンツを限りなく切り刻んで極小に挑むスクールナノだ。
杉田敦のこの試み、モダンに刷り込まれてしまった良心にも切り込んでくるものだから、投げかけられる、わかっているつもりの極小の課題を考えれば考えるほど参加者はどんどん混乱していく。
blanClassがある井土ケ谷は「井土ケ谷事件」という歴史的な事件があった場所。たとえばその事件を自分たちのからだをつかって寸劇してみると、わかった気になっていた、あの頭の中の出来事が嘘のように崩落して、その「やってみた」おかしな体験が、不思議と意味を持ってくる。(そういうことを成果としていくスクールなのだが…)。
経験を優位に語る知と、情報をこそツールに考えを巡らせてきた知が、真っ向から対立してきたかに見えていた昨今だが、経験優位者は経験できないことにはめっぽう弱いし、情報優位者はいつかエスカレートして現実から逃避していく。杉田が提案しているように、経験していないことをいかにして考えるか、いわば、「経験と情報の間」にこそ考えを巡らせるフィールドが広がっているのかもしれない。
blanClassでは毎週毎週、必ずと言って良いほど面白いことが起こっている。ないないづくしと、いくらかの約束事をたよりに、アーティストたちが勇猛果敢に工夫しながら、このトライアル&エラー(試行錯誤)を楽しんでいるからだ。それは文字通りの実験になっている。実験とは? 化学の実験室でボコボコいわせながら、課題をひとつひとつクリアーしながら、データを積み重ねていく、あの実験のことだ。今年のヴェネツィア・ビエンナーレに田中功起はblanClassで試みた3つの「不安定なタスク」の記録も持っていった。そこで受賞した特別賞の受賞理由が「恊働の試みとその失敗」というものだったのだが、本当に共有する必要があって、何よりも重要な成果は、実験によって得られた「失敗(エラー)」の数々であるのは言うまでもないことなのかもしれない。
9月10月は、最若手のアーティストを何組かお呼びしているが、10月の最後の土曜日には、もはや知らないことなんてないように見える、あの岡﨑乾二郎が「とるものもとりあえず」 blanClassに緊急参戦してくれる。きっとほかではない岡﨑さんならではのアクロバティックな試行が展開されるに違いない。
小林 晴夫
参院選へGO!|2013年 参院選ビフォアー&アフター(2013.6-7)
参院選へGO!|2013年 参院選ビフォアー&アフター
6月と7月のblanClassは1つのテーマを設定しました(6/1のステューデントナイト以外)。きっかけは、眞島竜男が衆院選以来(参院選まで)続けている「今日の踊り」のまとめイベントをしようという話。ならば、いっそのこと2ヶ月間、blanClassすべてのイベントを「参院選」や「選挙」をテーマにしたイベントで固めてしまおう、ということになりました。
前回の衆院選の結果にうんざりするだけではなく、もしかしたら決定的に変わってしまうかもしれない社会の直前で、ささやかでも何か言っておけないだろうか? 世の中がどんなに変わってしまっても、変わらず「本当に必要なものは何か」を考えること、一日一日をユニークな経験として受け入れ続けていくこと、与えられる「答え」をはね除けて、そもそも「答え」が欲しいわけではなく、変化そのものを生き抜くこと、そういうあたり前のことを再認識したいと思ったのが、企画内容のすべてです。
2000〜2010年までの10年を振り返って「どんな時代だったか?」と、いつか誰かに聞かれることがあるとすれば、迷わずに「閉塞感」と答えるでしょう。
実体経済があるベクトルで行き詰まっていたのは事実ですが、その「閉塞感」だって、実体のない空気のようなものでした。それどころか、「閉塞感」は経済的な意味で、もっとも売れたトレンドでした。「閉塞感」は単なる商品だったのです。
そんな流行に反して、世の中の水面下では、これまでの市場では商品になりにくかった、様々な価値が見直され、多様な問題を解決していこうとする、失敗を怖れない地道な実験や実践が、社会化し、定着し、今正に芽を出してきています。
そんなとても大事なタイミングで、「アベノミクス」は何をしてくれているのでしょう? そもそも失敗を怖れて発明の心を失った巨大企業の堕落が生んでいる現在の経済状況に、なぜまた得体の知れないムードでバブルを呼び戻す必要があるのでしょうか?
とっくに利を失った「戦争ビジネス」に執着することや、人々のカジュアルな思想とは、かけ離れた国益をかざして社会が右傾化してしまうことも鬱陶しいのですが、きっと多くの拒否反応もあるはず。それ以上に、またしても金融経済だけに頼った、消費誘導型の社会に逆戻りしてしまうことのほうが恐ろしい。失われた20年に膨れ上がっている消費欲は、人々をきっと馬鹿にしてしまわないだろうかと…。
参加していただくゲストの方々は、これまでに選挙を問題にされた方も、そうでない方もいますが、次の参院選の前と後を一緒に目撃しながら、その変化を見届けて、来る未来を考えてみようと思います。
小林 晴夫 (2013.6-7チラシ掲載)
嵐の後にアンソロジー(2013.4-5)
嵐の後にアンソロジー
昨年度はいろいろと周辺の嵐に巻き込まれてしまった感のあるblanClass。嵐の後に気を取り直して初心に戻り、またノージャンルでさまざまなアーティストをおよびしたい。そこで今年度、特に力を入れようと思っているのが、結構身近に多いのに、なかなか来ていただけなかった絵を描く人々。画家によるワンナイトイベントは、画業に向き合う作業になるか? 絵画とは別のアプローチになるのか? 何人呼べるのか今のところは見当もつかないが、その内容には今から興味津々だ。
そのほかにもいろいろと挑戦していきたいのだが、まずは、たまってきたアーカイブのなかから、2人の写真家、鷹野隆大と秦雅則が3回におよんで展開した対談をまとめた本と、多田正美(音楽家)、鈴木理策(写真家)を中心に何人かのアーティストが恊働して制作したパフォーマンスをおさめたDVDを発行する。そしてそれらの発表を兼ねてBankART miniに2週間の出張をすることにした。
BankART miniでは鷹野隆大+秦雅則2人展を開催。関連のトークイベントや多田正美、中川敏光のパフォーマンスイベント、昨年末からはじめた拡張計画も一緒に出張(その間は井土ケ谷は完全休業)するので、出張全体がアンソロジー(撰集)になっている。
拡張計画でも毎週刺激的なお話しがそれぞれに展開していて、今後はこれらトーク&レクチャーシリーズも随時、文字化していけたらなぁと、思案している。
小林 晴夫
(2013.4-5チラシ掲載)
もしも瓢箪で鯰を捕ることができたら、瓢箪から駒は出るのか?(2013.3)
もしも瓢箪で鯰を捕ることができたら、瓢箪から駒は出るのか?
3.11以降、少しの間、「アートになにができるか?」とか「こんなことをしていてもいいのだろうか?」など、だいぶネガティブになったアーティストをよく見かけた。そんなとき、良く思い出したのが「瓢鯰図」。下界の動乱を憂いだ仙人が山に籠って、ヌルヌルした大頭の鯰を瓢箪で必死に捕まえようとしている。
原発事故であれだけのことがあからさまに示されたにも関わらず、下界(ここ)は、いよいよ騒がしくなってきている。そんな今、アートを徒労とたとえたくなる気持ちはよくわかる。
直接、社会にアプローチするアートの手法が、いつのまにかトップダウンの土地洗浄装置みたいになっている昨今、やっぱり本当に必要なのは、目的や答えを急がない、文字通りの実験場なのだ。
もしかすると、瓢箪で鯰は捕まるかもしれない。捕まった暁には、今度はその鯰が、もっと大きな駒になって、瓢箪の口から飛び出してくるに違いない。
小林 晴夫
(2013.3チラシ掲載)
友だち以上、作品未満(2013.1-2)
先だって「〈私〉の解体へ|柏原えつとむの場合」(国立国際美術館)という展覧会にいった。〈私〉の解体とは、当然のことながら、一般化され、肥大化した概念としての〈私〉という存在のことだ。民主化の仮面を被った、20世紀的超情報化消費化型の権威のことでもある。そしてもちろん、神話化されてしまった〈私〉たちの〈芸術〉をも指し示している。そこに現れているのはただの仕掛けだけかもしれないのに、その「思考」の賜物を共有することを拒んで、どこまでも曖昧な〈芸術〉なる概念を前提にして、「解釈」という幼稚な物語に回収しつづけることで、作品やそれをつくった個人を特別なものに祭り上げてしまったことが、生きたツールとしての芸術を無効なものにしてしまっている。
展覧会にいく前日、柏原さんと飲みながら、そうした作家の理念を聞いているうち、柏原えつとむが私たちに突きつけてきた課題の重みを今さらながらに思い知った。柏原氏からみればblanClassで起こっていることも、不完全な足踏み表現に見えるかもしれないが、blanClassで起こっている、いわば「作品未満」の行為を丁寧に見てみると、これまでだれかが独占しようとしてきた既得権益、安定した価値や安全な立場など、これまでの社会のあり方の一切合切を「解体」し、あくなき再統合を、多様な方法を駆使して実践している。そういうアーティストが少なくない。
脱線するようだが、「この国の文化はポリティカルなものがほとんどない」という紋切り型の発言を良く耳にする。そうだろうか? 世阿弥も観阿弥も利休も芭蕉もポリティカルではなかったか? 現在の日本の文化にしても、サブカルを含めポリティカルでない表現を探す方が難しい。単純にナショナルな図像を反語的にズラして並べるのが「ポリティカル・アート」だというならば、そういうステレオタイプなポリティクスは、特に日本のアートに探しても無駄なようだ。しかし主流や標準の価値に対してオルタナティブに個人の価値を示すという意味においてポリティカルな姿勢をあきらめないアーティストはたくさんいる。ただこの国の文化をちゃんと理解したいのなら、気合いを入れて長い時間その表現と付き合う必要がある。その特殊さを当事者である私たちも、そろそろ自覚しよう。
さて1月からはいよいよ眞島竜男のレクチャーシリーズ「どうして、そんなにも、ナショナルなのか?」がはじまる。当然、ただのレクチャーでは終わらないだろうし、安易に「作品行為」とも呼べない。アーティストの肉声を聞いてほしい。
小林 晴夫(2013.1-2チラシ掲載)
頭も、からだも、心もガンガンつかって考える(2012.11-12)
いよいよblanClass拡張計画が始動します。「blanClass拡張計画」は、毎週土曜日のLive Artはそのままに、収まりきらない企画をほかの曜日に移して展開する試みのこと。それぞれ月1回のシリーズ、2つのCAMPトーク [translations](木曜夜)と[真夜中のCAMP] (土曜深夜)、杉田敦「ナノ・スクール」(金曜夜)がはじまり、毎週水曜夜には、秦雅則「BC写真大学」も開校?します。
さらに増山士郎 特別講座[レジデンス・助成金等応募対策講座](11月-12月/全4回要予約)も行ないます。(眞島竜男レクチャー「どうして、そんなにも、ナショナルなのか?(仮)」は1月スタート)、拡張と言っても、突然変異的な計画ではなくて、これまでの活動のなかで起こってきたことの延長上にある変化に過ぎません。そもそもblanClassは当初から、あらかじめ答えを設定して、作家や作品をはめこむようなことは極力避けてきました。なぜなら芸術というものが、あくまでも(広い意味で)表現ありきで、その周りに起こる事象を丁寧に拾いあげることがもっとも重要だと信じているからです。
「自然に変化した」と言ったら言いすぎかもしれませんが、今回コラボレーションすることになった杉田敦、CAMPの井上文雄、眞島竜男、BC写真大学校長の秦雅則、各氏との個別な対話のなかに、その変化の「種」のようなものが見えたのは間違いありません。
「頭も、からだも、心もガンガンつかって考える」とは、BC写真大学の紹介文のなかで、秦雅則がつかっているフレーズです。9月までのチラシに私が書いた文章「からだをつかって考える」に対する、秦アンサーだったのでしょう。私もハッとして、その文言を拝借しました。これからは、からだどころか、持ってるものを総動員して、なおかつ全天候型でいきましょう。
小林 晴夫(2012.11-12チラシ掲載)
頭も、からだも、心もガンガンつかって考える(2012.10)
頭も、からだも、心もガンガンつかって考える
blanClassの活動も3年がたちました。そこで10月は3周年記念企画が目白押し。土曜日のLive Artは、最初の1年にお呼びしたアーティストから、LPACKが「住まう」ことについて、池宮中夫が「インストールされる身体」として、ともに「空っぽの教室(blanClass)」という開かれた密室で思考をチャレンジする。3周年記念パーティーでも、blanClassではおなじみの3人のアーティストたちが、それぞれのツールを駆使してノージャンルに展開。最後の週はアーティストとダンサー(振付家)の異色ユニット、前後(高嶋晋一+神村恵)が登場し、4年目の活動が粛々と続いていきます。
さらに4年目に向けて金曜日の夜にも、この秋からスタートするblanClass拡張計画!!! のプレトークを企画。CS-Lab + blanClassステューデントナイト vol.8 [代替energy] 参加者もまだまだ募集中です。
「blanClass拡張計画」とは、土曜日に収まりきらないレクチャーやトークなどをほかの曜日に移して展開する試みのこと。
それぞれ月1回のシリーズ、11月からは、2つのCAMPトーク [translations](木曜夜)と[真夜中のCAMP] (土曜深夜)、杉田敦「ナノ・スクール」(金曜夜)が、1月からは、眞島竜男レクチャー「どうして、そんなにも、ナショナルなのか?(仮)」(金曜夜)がはじまります。毎週水曜夜には、秦雅則「BC写真大学」も開校? します。
「頭も、からだも、心もガンガンつかって」とは秦雅則のBC写真大学について書かれたことば。前回、前々回のチラシには「からだをつかって考える」という文章を寄せましたが、これからは、持ってるものをフル稼働して全天候型にいきましょう。
小林 晴夫
(2012.10ちらし掲載)
からだをつかって考える(2012.09)
からだをつかって考える
9月のLive Artは、大久保あり、南雲由子、百瀬文、田中功起、4人のアーティストをおよびする。いずれのイベントも、アーティストだけでなく参加者も一緒になって、文字通り「からだをつかって考える」企画。
お客さんが来場したときには、まだ作品はできあがっていないし、結果は作家が想定していたものから大幅に変わってしまうかもしれない。アーティストたちが用意しているのは、もはや「作品らしい作品」などではなくなっている。用意しているのは、考えるために必要な機会と、その仕掛けのようなもの…。
blanClassは、いつのまにか、さまざまな世代のアーティストたちが、作品として完成する一歩手前のアートワークを実験する場になってきている。彼ら、彼女らが示そうとしていることは、完成された答えとしての「作品」ではなく、未解決で不確定で未確認でさえあるような問題を発見し、それらを考えるためのツールのようなものを提案しているのだ。
ダマされたと思って来てほしい。そしてダマされついでに、その遊びのような、でも飛びっきりシリアスな問題を大まじめに考えてみてほしい。
小林 晴夫
(2012.09ちらし掲載)
からだをつかって考える(2012.07)
からだをつかって考える
blanClassでは、毎週土曜日に極めて説明困難なできごとが起こっている。もはやパフォーマンスという言葉では収まりがわるいので「Live Art」と呼ぶことにした。
説明が難しいのは、アーティストたちが示そうとしていることが、未解決どころか、不確定で未確認でさえあるような問題に、答えを探しているからだ。
blanClassは、いつのまにか、さまざまな世代のアーティストたちが、作品として完成する一歩手前のアートワークを実験する場になってきた。
問題とはあたり前のことながら、アートの領域に閉じ込めておいていいはずがない。そもそも「アート」が開こうとしているフィールドは、国や民族や宗教や制度や歴史や形式やジャンルなど、無数の価値や常識が縛っている枠からはみだして、この世のすべての問題をぶち込んでも良いのが前提のはずなのだから…。
もはやアートに居座ったまま、頭だけで考えていても埒があかない。そろそろ立ち上がって、からだをつかって考えたほうが効率も上がるというものだ。
そしてできるだけ発信して、多くの人々と共に考えていきたい。
小林 晴夫
(2012.07-08チラシ掲載)
blanClass +portfolio (2011)
blanClass +portfolio 2011
blanClassは毎週土曜日にワンナイトイベント&公開イベントを2年以上続けている。来年からこのイベントのことを「+night」から「Live Art」と呼び替えようと話し合いを進めているのだが、2年続けてきて、毎週土曜日に起こる、極めて説明困難な事象をいくぶんかわかりやすくしたいとの願いからである。
2009年にはじめた当初は、多田正美、おととことばこ、中川敏光、白井美穂、村田峰紀、岡田貞子、安野太郎など、アート界隈で、音や言葉、身体を手がかりにパフォーマンスを表現手段にしているアーティストを呼んだ。身近なパフォーマーの発信拠点みたいになれば良いなと、考えていた。それが2ヶ月も経たないうちに、いつの間にかパフォーマンスをしたことがないアーティストにも声をかけはじめ、ワンナイトで完結することであれば、どんなことでも良いからなにかやってくださいとお願いしながら、結果的にいろいろなタイプのアーティストや専門家が続々と登場する場になった。
2年目になると、眞島竜男、伊藤誠、吉川陽一郎、森田浩彰、高橋永二郎、井出賢嗣、藤川直美、杉本智子、山城大督、佐々瞬など、現代美術をバックグラウンドに作品を展開しているアーティストたちにとって、表現の拡張の場として捉えてもらえるようになってきたと思う。
金村修、鷹野隆大、秦雅則、澄毅など写真家の参加も多かった。写真のイベントは展示とトークが中心だが、熱心なお客さんがたくさん集まるのも特徴。12月からは鷹野隆大と秦雅則による2人展&対談、全3回のシリーズもはじまり、広く狭く写真というものが抱えている問題を考察し発信する場へと展開しつつある。
多ジャンルの面からこの1年を振り返ると、劇団「けのび」、劇団「dracom」、演出家・神里雄大、衣裳・コスチュームデザイナー・矢内原充志、グラフィックデザイナー・菊池敦己、映画監督・伊藤丈紘、演出家・ダンサー・池宮中夫など、そのほかに、美術家・高嶋晋一とダンサー・神村恵のユニット「前後」や、ダンサー・中村達哉と美術家・山本麻世のなどがある。
1年目に引き続き、美大や専門学校で学ぶ現役学生たちの他流試合、ステューデントナイトも相変わらず盛りあがった。今年は2回開催したが、本来ならば、それぞれが学んだ専攻や形式に添って、目的地になりうる受け皿を目指して、出会わなかったかもしれない表現がひと時交差する。なかにはその目的地が見当たらなくて苦悩している人もいるかもしれない。あるいは、目的にしている受け皿からははみ出してしまうかもしれない。そこに無理矢理はまろうとすれば、まったく別物になってしまわないとも限らない。
そもそも「アート」が開こうとしているフィールドは、国や民族や宗教や制度や歴史や形式など、無数の価値や常識が縛っている枠からはみだして、この世のすべての問題をぶち込んでも良いのが前提のはずである。にもかかわらず、この国の文化が、成熟してしまったせいか、あるいはおそろしく幼いせいか、形式名やジャンルばかりが増えていくばかりで、それぞれの受け皿がよけいに狭苦しくなってはいまいか?
表現者のほうはといえば、表現の落としどころばかりを探しまわって四苦八苦している。やっとのことで落としどころに収まった表現も、その形だけが前に出て、一番肝心の作品の本体が見えにくくなっている。そうやって削り取られてしまった、さまざまな表現が行き場のないエネルギーみたいにさまよっているように見えるのだ。
そんな憤りから少しでも解放されるためにも、せめてblanClassだけは、狭くても良いから理想通り、どんな問題をどこまでも考えて良い場にしていきたい。
2011年は前年までにない変化、挑戦が多かった年。1番大きな挑戦は、海外も含め、全国のアート・イニシアティブなど、200組を超えるチームや団体が招かれた展覧会のようなイベント、BankART Life III「新・港村〜小さな未来都市」へ参加したしたこと。そのイベント内で、毎週土曜日のイベントを9月から2ヶ月間、完全出張した。その間のゲストはそれまでの2年間のblanClassのダイジェストになるよう心掛けた。同日にほかのイベントが最多で7つも重なる日があったりと、運営は決して楽ではなかったが、これを機会に、いろいろな地域に飛び出していきたいという野望も生まれた。
またblanClassのスペースでは手狭ではでき得ない企画も、いくつか試すことができた。1つは、ステューデントナイトなどに出演した23組の最若手のアーティストが、9時間ノンストップで入れ替わり立ち替わり登場した[ヤンゲスト・アーティスト・マラソン]。2つ目は音楽家・多田正美と写真家・鈴木理策のコラボレーション [西浦の田楽]。blanClassで馴染みのパフォーマー中川敏光、柿ハンドルドライブなども加わり、1200年のあいだ毎年繰り広げられる「地能」「はね能」の現代版。3つ目はblanClassでもっとも出演回数の多いパフォーマー、岡田貞子、おととことばこ、高橋永二郎、中川敏光、村田峰紀と私のコラボレーション[Traffic on the table]。私の発表は実に10年ぶり。個人的には今年一番のトピックスだ。
最後になってしまったが、もうひとつ忘れてはならない今年もっとも大きな事件は、当然のことながら、東北の津波と福島の原発事故。blanClassにも、その余波はジワジワと押し寄せてきた。blanClassでは震災の影響で延期したスケジュールは1つあったものの、それも急遽別の企画に差し替えて、結果的に1日も休まずに、ほぼ予定通りのスケジュールをこなした。実は「3.11」翌日が土曜日。その日も通常通りイベントをやった。さすがにお客さんは4名。なかにはリュックを背負ってきた人もあった。次の週の佐々瞬の展覧会と土曜日のイベントから、すぐに「3.11」のことが問題にされた。それ以来、何度となく作品や公開インタビューのなかで「3.11」以降の表現についての話が、今もなお問題になっている。
当分はblanClassのディレクションだけに専念しようと思っていた私が、10年ぶりに作品の発表に踏み切ったのも、想えばこの大津波に原因している。
小林晴夫
blanClass+portfolio (2010)
blanClass+portfolio 2010
今年も、art & river bank 「depositors meeting 8」にポートフォリオを出展した。出展したポートフォリオに、今年を振り返る文章を書いたので、2010年最後の+columnも同じものを寄せます。
なにかの企画書にblanClassは超記録集団だと、豪語したが、私を除いて立ち上げからスタッフに写真家が多いため、無尽蔵に記録が増える。外付けハードディスクが増える。バックアップが追いつかない…。
というわけで、今年も、art & river bank 「depositors meeting 8」にポートフォリオを出展した。昨年ははじめてから2ヶ月分のポートフォリオだったが、今回はほぼ1年分、2010年1月~現在までの記録をすべて網羅することとする。当然1日分の掲載枚数が減るが、1年ごとに整理するのは精神衛生上にもたいへんよろしい。
といっても2ヶ月が1年になっただけで、その黎明期には変わらず、変化を示すには年数が足らない。後々見返して「このころはこういう傾向だった」とあらためてアナライズすることにして、今の段階での感想めいたものをちらほらと書くことにする。
今年一番のトピックスは、なんといっても+nightでの「ステューデントナイト」だ。すでに3回、1月30日、7月24日、12月4日に第1弾~第3弾までを済ませた。第2弾と第3弾は「off limits」という副題を寄せた。
「off limits」というのは、1999年ニュージャージーのThe NEWARK MUSEUMで行われた展覧会のタイトルだった。(Off Limits: Rutgers University and the Avant-Garde, 1957-1963)
その展覧会は、1957年~1963年にRUTGERS UNIVERSITYの周辺で起こった若きアーティストたちの動向をドキュメントしたものだった。1957年~1963年のRUTGERS UNIVERSITY周辺には、アラン・カプロー、ジョージ・シーガル、ロイ・リキテンシュタイン、ルーカス・サマラス、ジョージ・ヘンドリックス、ボブ・ワッツ、ジョージ・ブレヒト、ロバート・ウィットマンなどが、彼らの初期のアートワークを展開していた。ハプニングやポップアート、フルクサスなどの原動力の1つの渦になったのだ。そして、当時のニューヨークの学生たちが試行錯誤した芸術への問いや実験は、後のアートシーンを大きく変えていった。
第1弾のステューデントナイトを見終わって、その展覧会で感じた、いろいろな場所で、巻き起こるべくして起きた渦のようなものが、いまこの国のそこかしこで起こりつつあるのかもしれないと、期待をし、またその展覧会であつかわれていたかつての若きアーティストの思想を想い、タイトルを拝借した。
ステューデントナイトには、それぞれに7組ずつだったので、すでに21組の最若手のアーティストがエントリーしてくれた。彼らにも、彼らを囲む大人たちにも同様に期待することは、型にはまった審美眼で芸術作品らしきものをでっちあげることや、それを求めて性急にレッテル張りをするのではなく、未来の予兆ともいうべき「問題」を示し、また見抜いてほしい。
3月に予定している第4弾には別のサブタイトルをつけようか? と考えている。たとえば「next education」とか「beyond education」なんてのがいい。
若いアーティストの参加も大きな出来事だったが、同時にさまざまな世代やジャンルのアーティストが進んで+nightに参加してくれたことも大きな出来事だった。つらつらと名前を挙げていくときりがないのでアーカイブなどで確認してほしいが、特筆すべきなのは1周年記念ウィークに参加してくれた原口典之氏だろうか。64歳にして未だ現役ばりばりの姿は若い作家に全然負けていなかった。
結果、あまり偏りのないプログラムが実践できたと思う。私は常々、芸術の本質はジャンルや形式を飛び越えて共有し得るものと信じている。そもそも芸術と言って、その様式や役割というものは、人の歴史のなかで日々変化しながら想像を絶するほど多様に機能してきたのだ。数年間とか数十年間で適当に培ったような、ヘロヘロのものさしで、無理くりはかったところで、そう易々とはかれるものでもない。そういうことは100年くらい前にたとえばデュシャンみたいな人がとっくに飛び越えたはずのものなのに、多くの人々があいもかわらず条件付きの自由を謳い、また辟易している。
政治でも経済でも戦争でも勝手に条件付きの自由に一喜一憂するが良い。でも芸術や表現は条件なしの自由でいきましょう。これまでも、これからも。
こばやしはるお
blanClass+portfolio (2009)
blanClassで+nightを始めたのが10月17日(土)だから、やっと2ヶ月。振り返るにはあまりにも早すぎるのだが、art & river bank 「depositors meeting 7」にポートフォリオを出展というので、あるシステムの立ち上げを記録するのも悪くないと思うに至った。また私以外のスタッフ、上田朋衛、波多野康介が写真家であることは現在のblanClassの大事な要素なので、両名にはポートフォリオだということを忘れてもらい、それぞれのblanClass「写真集」を制作してもらうこととなった。
事の次第
Bゼミをたたんだのが2004年、「Bゼミ|〈新しい表現の学習〉の歴史」(BankART1929発行)を出版したのが2005年10月。それから300年くらい眠ってしまっていたように思うが、2006年から3年間、私は「三年寝太郎」をしていた。
2008年の11月「出張BankART School」(横浜の全区にBankART Schoolが出張するという企画)に参加した。南区に極端に文化施設が少ないという事情で、一夜だけBゼミを復活させた。住宅街でのBゼミという密室と周辺の演習記録から、かなりダイジェストだが37年分のスライドショーを行った。前々から「元Bゼミのスペースを遊ばせておくのはもったいない」とBankART1929のディレクター、池田修氏に苦言をいただいていた。「そろそろなにかをしなければいけない。」
毎年年賀状をやり取りしている多田正美氏(音楽家・写真家)から今年はメッセージが添えられていた。「まだなにも始めないのですか?」
昨年、多摩川河川敷で東京綜合写真専門学校の学生の自主企画で「トヨダヒトシスライドショー」というものが行われた。東京綜合写真専門学校には2004年から非常勤講師として現代美術の演習をしている。その企画が学生の企画としてはすばらしい仕事だったので、打上げに出席して、言い出しっぺの波多野くんらに、今後の計画を聞いてみた。それぞれが自身の表現だけでなく、企画などの活動をしていきたいとのことだった。
冬の間、重い腰を上げるべく、うつらうつらと考えるうちに彼らのことが頭から離れなくなり、とりあえず会って話してみようと思いつく。
3月21日(土)、その日はあんまりいい天気だったからひどい花粉症にもかかわらず金沢動物園に行った。夕方、東京総合写真専門学校を卒業したばかりの学生が2人展をやっていたので、綱島にある「ナマックカフェ」に行った。そこで「トヨダヒトシスライドショー」の中心で動いていた3人に相談を持ちかけたのが、ことの起こりになった。といってもその日は飲みの席でもあり、前述した通りひどい花粉症だったため、大した話はできなかった。
あらためて3月26日(木)夕方、井土ヶ谷の「グラッチェ」で彼らに会った。そこで私は彼らに、元Bゼミのスペースとwebをつかってなにかしよう、具体的なことはなにも決まっていない、できるだけ対等な立場で、1年くらい時間をかけてブレインストーミングをしたいと、いうようなことを説明した。
4月13日(月)から月曜クラブ(私だけがのスタッフ会合をそう呼んでいる)が始まった。当初は映像のコンテンツをweb上で面白く展開できないだろうか? という話し合いが主な議題だった。
2回目、4月20日(月)ユニットの名前は「no meaning」なものがいいと提案したところ、翌週、4月27日(月)に上田くんから「blank」という単語が提案され、「白」とか「空っぽ」の意が気に入り元々教室だったこの空間にちなんで「Classroom」をくっつけようということになる。英語だと「blank」、同じ意味でフランス語だと「blanc」、そうしておいて2つの「c」を重ね、大文字「C」表記、roomも取り外してプロジェクトごとに+で付け足すということにした。
blanClass
ちょうどその頃私はBankART1929で行われた「原口典之展 社会と物質」の手伝いをしていた。手伝いといっても結果的には展示やカタログのためにBゼミでの原口典之ゼミの資料をまとめたにとどまる。しかしながら、この時期のBankART1929のディレクターの池田修、原口典之、両氏と仕事ができたことは私にとって大きな転機となった。
というのは、5月22日(金)、原口典之との座談会のなかでも、彼がしきりに私につきつけた「つくってはいけない」「なにもするな」という言葉が私にとっての命題になったからだ。
6月14日(日)のクロージングパーティーの後、深夜におよんだ飲み会の席で、彼はまた同じように、私に「なにかしようとするな」と、つめよった。それだけだったら、私はいまだに眠っていたかもしれないし、そのときもあいかわらず「なんにもしないわけにはいかない」と反論した。原口氏は「スピードを持て、疾走しろ!」と言った。
そのだめ押しのような一言に、私の時代遅れのコンピューターがなぜかカリカリカリカリ動き出し、いままでつながらなかった思考の断片のようなものが、その場で1つの像のように結びついた。確信と言ってよいのか? 自信といったほうがいいかもしれないが「表現よりも早くできることがあるかもしれない」私は原口氏に「わかりました」と答えた。
翌日の6月15日(月)blanClass.comの表紙にするため「深夜の工事現場」を撮影に行こうと、夕方集まったファミレスでスタッフに、blanClassの展望を話し、逆に彼らが5年先を見据えて、やりたいことはなにかを聞いた。
+room
+paper
+image
+product
「芸術=ART」は確かに存在している。その存在する「芸術=ART」のために貢献できることを実践したい。結局「芸術=ART」を問題にするしかないのだ。ほかにとりたてて得意なことがないのだから。「芸術=ART」を中心に据えて、教育とか学習とかジャーナリズムなんかの、もう一歩先で人びとが欲しているようなコアな内容を対話し、同時に発信するプロジェクトを始められないだろうか?
6月24日(水)、渋谷で眞島竜男氏と会合。blanClass +roomの相談を持ちかけた。対話を中心に据えたコラボレーションのプロジェクト、最終的にblanClassで発表をしてもらおうという試み、これはまだ実現していないので詳しくは書けないが、このときの会合で、年内にプレイベントをした方がよいのではないかという、話し合いになった。
7月中は主にレンタル暗室の準備とblanClass.comの立ち上げについやした。
8月7日(金)、急に思いついて、財源なしでいきなり始めてしまう企画、土曜日の夜のパフォーマンスナイト(Lounge)をスタッフたちに電話で提案した。
+night
そうした急な展開に困惑したのかスタッフの人数は8月の終わりに3人から2人になった。
9月は忙しかった。10月にレンタル暗室と+nightの両方を同時に立ち上げるために、ほとんど毎日改装工事、webやチラシ制作、出演の依頼と打合わせなどなど。
+nightは前述の多田正美氏も出演を快諾してくれて、それ以降も現在まで出演交渉は割にスムーズに進んでいる。出演者へのお礼が入場料の半分という薄利にも関わらず、意欲的な内容が現在まで続いていて、世の中にあふれているはずの発表や実験の場が実は偏っていることに気づかされる。
最初に書いたようにまだ始まってたったの2ヶ月、当然ながら、今後の展開の方が重要だし、難しいだろう、しかしどこかで、スピードさえ維持し続ければ必ずうまくいくという楽観がある。
小林晴夫
Clopen space +night(2009.10)
Clopen space +night
blanClassで +nightというイベントを毎週土曜日の夜(18:00 – 22:00)に行っている。平たくいえばパフォーマンスナイトなのだが、パフォーマンスに限らず、その時間の枠でできることならば、どういったことにでも挑戦していきたい。今週末には土曜日がちょうど10月31日だったので「ハロウィーン・ナイト」と銘打って、blanClassのオープン記念パーティーをする。オープニングパーティーとは前後してしまうが、すでに2回、+nightの催し物が無事終了した。(10/17:丸山由貴、柿ハンドルドライブ、10/24:おととことばこ)両日共に30人ほどのお客さんに恵まれた。
2回の +nightを終えて、正直やっと「始まったな」と思っている。1回目は、こけら落しの緊張からワサワサしていて、落ち着く暇もなかったから、2回目は観客の1人として鑑賞した。それで「あー始まったなー」と思ったわけだ。
ステイトメントでも「空間の実践」として一部触れたが、blanClassを始める前に、いくつか「場所」に対して考えていたことがある。その1つがblanClassをclopen spaceとして機能させていきたいというもの。この場所がおもいっきり住宅街に位置しているため、商業エリアに見られるような完全に開いている場所を考えることができない。そこでシックリしたのが「clopen」という概念。ほどよく閉じて、ほどよく開くという発想だった。
「clopen」というのは数学や建築の領域で使われている用語で、「close」と「open」を掛合わせた合成語。閉じつつ開き、開きつつ閉じるというように、相互の状態をデュアルに兼ね備えた状態を現している。
「clopen」をネット上で検索していたら、電気配線の上でも上記のような状態があるらしく、その部分に「clopen」をしめす記号がつかわれているらしい。配線図上の「clopen記号」をみていたら、マルセル・デュシャンの「ラリー街11番地のドア」(1927)を思い出してしまった。これはパリのデュシャンのアパートの寝室と浴室の2つの部屋、直角に隣接した出入口を1枚の木製ドアで兼用しているという、デュシャンが実際に生活のなかで使用していた珍しい作品。寝室を使用しているときはそちらにドアを閉め、浴室を使用しているときはそちらに閉める。寝室と浴室という別々の機能をもった2つの部屋を隔てながら、しかもどちらの機能も無駄なく機能させる。つまり一方の部屋のドアが閉まっていても、もう一方のドアは必ず開いていることになる。面白い。すごく単純なことなのに、やっぱり面白い。
宇佐美圭司氏がその著書「デュシャン」のなかで、この「ラリー街11番地のドア」に触れていて、その作品からデュシャンの作品に共通して流れている「倹約の精神」を汲み取っているが、私などは、その「ドア」がもっている「兼用の機能」が気になってしまう。
「おととことばこ」さん、別名、山本唯さんはblanClassのことを「白い教室」と前置して「求める空間に対応し変化してくれる場所」というような意味のことを指摘してくれた。このどんなことにも臨機応変に対応し、必要に応じてちゃんと変化し、いろいろな機能を兼用し得る場所であることが、閉じているとか、開いているということよりも、うんと重要な要素だ。「おととことばこ」さんのパフォーマンスを、一瞬、幽体離脱状態で俯瞰しながら、「いけるかもしれない」と感じた。
ほとんど自前の機材を用意できないまま、おもいきって始めてしまった +nightだが、とりあえずこの場所が備えている「兼用の機能」を最大限生かし、デザインしていきたい。それに5年前には考えられなかった現在のネット環境をなんとかうまく使いこなすことが可能であれば、私が想像する以上にスピードをもって外に開いていくかもしれない。
小林晴夫
(2009.10.27 blanClass+columnに掲載)
空っぽの教室(2009.9)
空っぽの教室 blanClass+room
blanClassは、横浜の住宅街にある小さなスペースを拠点に
芸術を発信する場として、多方向に活動を展開していきます。
そこは長年、現代美術を学ぶ教場として機能していたスペースです。
数年の間、閉めていたこともあり「空っぽの教室」という意味を込めて、
「blanClass」と名づけました。
「ゼロから」とまでは言わないとしても、その「空っぽの教室」を手掛りに
スタートします。人がスペースに関わり、そこに生きていくことで、建物は時を経て変化する。
しかし、実はスペース自体も個性を持っていて、関わっていく人が注意深く
そのスペースを読み取っていくたびに機能や役割は拡張し、転換していきます。
そういうスペースが備えている個性を見いだし、育てていくように空間そのものを
実践することから考えていこうと思うのです。
もっとも重視するのは、形ある成果よりも、むしろそこに起こる対話です。
様々なアーティストや専門家がblanClassで交差しパラレルに共存する。
そこで生まれる対話を生け捕りにして発信をしていきます。
いったんドアが開いたら、どんなことでも好きなだけ掘り下げて考えることができ、
簡単には時代や社会に媚びないように、芸術を区分けしているジャンルや機能を
飛び越えて、向こう側にある力強いメッセージを、
より自由でシリアスな問題を、真摯に模索していきます。
小林晴夫
(2009.9.14)