今の世の中には、確かに文化的なジャンルが多様に準備されている。遠目で見たら似たようなものに見えるものでも、目を凝らして見てみると、微妙に違っていて、しっかりと住み分けされている。近いものの違いの方が気になるのは世の常なのか、どんどん細分化をしながら、お互いのアイデンティティーに線を引いて相容れない。

11月には今年から募集を始めたステューデントアートマラソンがある。おかげさまで、14組の現役学生アーティストが集まってくれた。もちろん蓋を開けてみなければ、どんなことが起こるのかはわからないけれど、彼ら彼女らも、その表現の行き先がどこなのか、気が気ではないだろう。

ここ数年、幾つかの美大にお呼ばれして、学生たちと、それぞれがその時々に考えていることや作品のことなどを
話す機会が増えた。考えてみると美大も学部やら、学科やら、専攻やら、領域やら、コースやらが、どんどん増えていって細分化が激しい。その区別することの本当の意味は、実に曖昧でよくわからないのだが、学生たちと話していると、先生に言われるのか、自身のやっていることが、芸術なのか? マンガなのか? デザインなのか? それともただの冗談なのか? 大真面目に悩んでいるようなのだ。これだけたくさんジャンルが用意されているのに、どのジャンルにも行き先を見出せないような不安がそこにはあるようだ。

だったら、自分たちでその表現の収まる先までつくってしまえば良いとも思うが、といって、また新しいジャンルをつくっていくとしたら、ジャンルの細分化はとどまることを知らず、いよいよ本格的な「ジャンル天国」になってしまう。

一昔前なら、どこにも収まらない問題意識の収まる場所は〈アート〉ですよと簡単に言えたのだが、〈アート〉という言葉も今やひとつのジャンルに聞こえてしまうから、この状況をなんと表現していいのかよくわからなくなってしまう。

最近、TERATITERAというアートイベントに行ったら、とある宇宙人に出くわして「宇宙人にもわかるように〈アート〉という言葉の意味を教えてください」と聞かれたので「社会や身近な問題を考えるための一つの方法です」と答えたのだが、やっぱりステューデントたちにも〈アート〉を1ジャンルに括って欲しくはないし、既存のジャンル地図とは違う視野で世界に相対してほしい。

小林晴夫(2016.11-12チラシ掲載)


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