blanClassで+nightを始めたのが10月17日(土)だから、やっと2ヶ月。振り返るにはあまりにも早すぎるのだが、art & river bank 「depositors meeting 7」にポートフォリオを出展というので、あるシステムの立ち上げを記録するのも悪くないと思うに至った。また私以外のスタッフ、上田朋衛、波多野康介が写真家であることは現在のblanClassの大事な要素なので、両名にはポートフォリオだということを忘れてもらい、それぞれのblanClass「写真集」を制作してもらうこととなった。

事の次第

 Bゼミをたたんだのが2004年、「Bゼミ|〈新しい表現の学習〉の歴史」(BankART1929発行)を出版したのが2005年10月。それから300年くらい眠ってしまっていたように思うが、2006年から3年間、私は「三年寝太郎」をしていた。

 2008年の11月「出張BankART School」(横浜の全区にBankART Schoolが出張するという企画)に参加した。南区に極端に文化施設が少ないという事情で、一夜だけBゼミを復活させた。住宅街でのBゼミという密室と周辺の演習記録から、かなりダイジェストだが37年分のスライドショーを行った。前々から「元Bゼミのスペースを遊ばせておくのはもったいない」とBankART1929のディレクター、池田修氏に苦言をいただいていた。「そろそろなにかをしなければいけない。」

 毎年年賀状をやり取りしている多田正美氏(音楽家・写真家)から今年はメッセージが添えられていた。「まだなにも始めないのですか?」

 昨年、多摩川河川敷で東京綜合写真専門学校の学生の自主企画で「トヨダヒトシスライドショー」というものが行われた。東京綜合写真専門学校には2004年から非常勤講師として現代美術の演習をしている。その企画が学生の企画としてはすばらしい仕事だったので、打上げに出席して、言い出しっぺの波多野くんらに、今後の計画を聞いてみた。それぞれが自身の表現だけでなく、企画などの活動をしていきたいとのことだった。

 冬の間、重い腰を上げるべく、うつらうつらと考えるうちに彼らのことが頭から離れなくなり、とりあえず会って話してみようと思いつく。

 3月21日(土)、その日はあんまりいい天気だったからひどい花粉症にもかかわらず金沢動物園に行った。夕方、東京総合写真専門学校を卒業したばかりの学生が2人展をやっていたので、綱島にある「ナマックカフェ」に行った。そこで「トヨダヒトシスライドショー」の中心で動いていた3人に相談を持ちかけたのが、ことの起こりになった。といってもその日は飲みの席でもあり、前述した通りひどい花粉症だったため、大した話はできなかった。

 あらためて3月26日(木)夕方、井土ヶ谷の「グラッチェ」で彼らに会った。そこで私は彼らに、元Bゼミのスペースとwebをつかってなにかしよう、具体的なことはなにも決まっていない、できるだけ対等な立場で、1年くらい時間をかけてブレインストーミングをしたいと、いうようなことを説明した。

 4月13日(月)から月曜クラブ(私だけがのスタッフ会合をそう呼んでいる)が始まった。当初は映像のコンテンツをweb上で面白く展開できないだろうか? という話し合いが主な議題だった。

 2回目、4月20日(月)ユニットの名前は「no meaning」なものがいいと提案したところ、翌週、4月27日(月)に上田くんから「blank」という単語が提案され、「白」とか「空っぽ」の意が気に入り元々教室だったこの空間にちなんで「Classroom」をくっつけようということになる。英語だと「blank」、同じ意味でフランス語だと「blanc」、そうしておいて2つの「c」を重ね、大文字「C」表記、roomも取り外してプロジェクトごとに+で付け足すということにした。

blanClass

 ちょうどその頃私はBankART1929で行われた「原口典之展 社会と物質」の手伝いをしていた。手伝いといっても結果的には展示やカタログのためにBゼミでの原口典之ゼミの資料をまとめたにとどまる。しかしながら、この時期のBankART1929のディレクターの池田修、原口典之、両氏と仕事ができたことは私にとって大きな転機となった。

 というのは、5月22日(金)、原口典之との座談会のなかでも、彼がしきりに私につきつけた「つくってはいけない」「なにもするな」という言葉が私にとっての命題になったからだ。

 6月14日(日)のクロージングパーティーの後、深夜におよんだ飲み会の席で、彼はまた同じように、私に「なにかしようとするな」と、つめよった。それだけだったら、私はいまだに眠っていたかもしれないし、そのときもあいかわらず「なんにもしないわけにはいかない」と反論した。原口氏は「スピードを持て、疾走しろ!」と言った。

 そのだめ押しのような一言に、私の時代遅れのコンピューターがなぜかカリカリカリカリ動き出し、いままでつながらなかった思考の断片のようなものが、その場で1つの像のように結びついた。確信と言ってよいのか? 自信といったほうがいいかもしれないが「表現よりも早くできることがあるかもしれない」私は原口氏に「わかりました」と答えた。

 翌日の6月15日(月)blanClass.comの表紙にするため「深夜の工事現場」を撮影に行こうと、夕方集まったファミレスでスタッフに、blanClassの展望を話し、逆に彼らが5年先を見据えて、やりたいことはなにかを聞いた。

+room

+paper

+image

+product

 「芸術=ART」は確かに存在している。その存在する「芸術=ART」のために貢献できることを実践したい。結局「芸術=ART」を問題にするしかないのだ。ほかにとりたてて得意なことがないのだから。「芸術=ART」を中心に据えて、教育とか学習とかジャーナリズムなんかの、もう一歩先で人びとが欲しているようなコアな内容を対話し、同時に発信するプロジェクトを始められないだろうか?

 6月24日(水)、渋谷で眞島竜男氏と会合。blanClass +roomの相談を持ちかけた。対話を中心に据えたコラボレーションのプロジェクト、最終的にblanClassで発表をしてもらおうという試み、これはまだ実現していないので詳しくは書けないが、このときの会合で、年内にプレイベントをした方がよいのではないかという、話し合いになった。

 7月中は主にレンタル暗室の準備とblanClass.comの立ち上げについやした。 

 8月7日(金)、急に思いついて、財源なしでいきなり始めてしまう企画、土曜日の夜のパフォーマンスナイト(Lounge)をスタッフたちに電話で提案した。

+night

 そうした急な展開に困惑したのかスタッフの人数は8月の終わりに3人から2人になった。

 9月は忙しかった。10月にレンタル暗室と+nightの両方を同時に立ち上げるために、ほとんど毎日改装工事、webやチラシ制作、出演の依頼と打合わせなどなど。

+nightは前述の多田正美氏も出演を快諾してくれて、それ以降も現在まで出演交渉は割にスムーズに進んでいる。出演者へのお礼が入場料の半分という薄利にも関わらず、意欲的な内容が現在まで続いていて、世の中にあふれているはずの発表や実験の場が実は偏っていることに気づかされる。

 最初に書いたようにまだ始まってたったの2ヶ月、当然ながら、今後の展開の方が重要だし、難しいだろう、しかしどこかで、スピードさえ維持し続ければ必ずうまくいくという楽観がある。

小林晴夫


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