もしも瓢箪で鯰を捕ることができたら、瓢箪から駒は出るのか?

 3.11以降、少しの間、「アートになにができるか?」とか「こんなことをしていてもいいのだろうか?」など、だいぶネガティブになったアーティストをよく見かけた。そんなとき、良く思い出したのが「瓢鯰図」。下界の動乱を憂いだ仙人が山に籠って、ヌルヌルした大頭の鯰を瓢箪で必死に捕まえようとしている。
 原発事故であれだけのことがあからさまに示されたにも関わらず、下界(ここ)は、いよいよ騒がしくなってきている。そんな今、アートを徒労とたとえたくなる気持ちはよくわかる。
 直接、社会にアプローチするアートの手法が、いつのまにかトップダウンの土地洗浄装置みたいになっている昨今、やっぱり本当に必要なのは、目的や答えを急がない、文字通りの実験場なのだ。
 もしかすると、瓢箪で鯰は捕まるかもしれない。捕まった暁には、今度はその鯰が、もっと大きな駒になって、瓢箪の口から飛び出してくるに違いない。

小林 晴夫
(2013.3チラシ掲載)


related posts