先日、3月14日と15日のblanClassのイベントは、当初1日だけ佐々瞬にお願いし、告知していたものが、大幅に更新されて、佐々に加え岩田浩、趙純恵が共同でつくり出した、これまでにないイベントになった。「それら について話すこと」と題されたそのイベントは、当初は演劇的な試みとして制作されていたかのように思われた。だがふたを開けてみると、1日目、2日目と回を重ねて、より作品とは到底呼べない、3人の価値観が未来に向けて、慎重に交わされる状態が、そのまま示されたものだった。

特に2日目の彼らの振る舞いは、観客も無視したような没入した会話そのものだった。だからとても急進的で、blanClassだからギリギリ成立したようなもので(それもかなり疑わしいが?)、一歩外に出てしまえば、受け入先のない行為にも思えるし、それぞれが日々に課し、時間をかけて生き抜いてこその思想的な態度にも見えた。

なにかの発言を、どんなに慎重にするとしても、どこかの領域で、結果的になんらかのジャンルや形式に回収されてしまう。そういう振る舞いは、やっているのか、やらされているのか、どちらともいえない自意識の中で、半ば強制的に決定されてしまうものだ。だからその日の彼らの姿勢は「作品化」に対する抵抗のようにも見えたが、一方で、その前提になっている、社会や政治みたいなものまでをつくろうという行為そのものにも見えた。

ふと、彼らがつくろうとしているのは「空気」なのではないかと思った。

放っておくと世の中には良からぬ空気が充満してしまう。オウムだとかISISなんかが意図的につくり出す不穏な空気もあれば、だれがつくり出したのかわからない、差別や偏見に満ちた得体の知れない空気に、時折、押し潰されそうになる。

もしかするとこれからの20年をサヴァイヴするということは、厳しい貧困を生き抜くほかに、無根拠で恥知らずに膨れ上がる空気に対抗するということかもしれない。形も根もない空気とどうやって戦えばいいのだろうと、辟易としていたのだが、なるほど敵が空気なのだから、こちらも空気をつくって対抗したらいいかもしれない。どんなことでも試すことのできる「場」を模索しつつ、これからは「空気」も一緒につくっていきましょう。

小林晴夫(2015. 4-5. チラシ掲載)


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