敗戦から70 年が経った。70 年前に終わった戦争のことを忘れてはならないと一口に言うが、若い世代にとっての70 年前の史実とはどんなものだろう? と我に返って、自分が生まれてから20 歳まで(1968 年~ 1988 年)のさらに70 年前を考えてみた。するとそれは1898 年(明治31 年)~ 1918 年(大正7 年)ぐらいのことで、第三次伊藤博文内閣に始まって、日露戦争、韓国統監府が設置され、伊藤博文が暗殺された後に韓国併合がなされ、そして第一次世界大戦が始まって終わるというような時代。つまり今から100 年以上も前の話になるのだ。

私が幼い頃、周りにはかろうじて関東大震災を経験した老人たちによる、未曾有の大災害の生々しい話が、口述されていたことを記憶しているが、100 年前にはその関東大震災もまだ起こっていなかったことになる。少なくとも、その頃の私にとっては日露戦争や第一次世界大戦のことは、あまりにも遠い霧の中の出来事のように思われていた。そう考えてみると、あれだけの大戦の記憶であっても、風化してしまうのは無理からぬことなのかもしれない。

関東大震災といえば、直後に起こった朝鮮人虐殺の事実を40 年以上も独自に研究している後藤周という人がいる。実はこの人、私の中学の担任だった人で、課外授業というと大袈裟だが、放課後の職員室で、私に広島長崎の原爆の被害について、水俣病の実態について、そして在日コリアンに対する不当な差別の話をしてくれた。先日、実に35 年ぶりに後藤先生に連絡をして、お食事をしながら、先生がこれまでに調べたことや活動の内容などを聞くことができた。というのも、ここのところ、この国を騒がせている「安保法案」や「ヘイトスピーチ」などを、どこから考えていいのか悩んでいたからだ。

後藤先生が関東大震災の研究を始めたきっかけは、郷里の岡山から初めて赴任した中学校の学区内にある宝生寺(横浜市南区)に関東大震災韓国人慰霊碑を見つけ、一つの歴史的な事件に対して、ある種の実感を得たことだったと言う。そういうローカルな視点こそがチャンスなのではないかと直感して、まずは先生に会ってみようと思い立ったわけだ。

blanClass はローカルな文化のリアルな姿を受け入れつつ、アーティストや参加者と共に考える場を目指して運営を続けている。それはインターナショナルとか、グローバルとか、ユニバーサルといった巨視的な視野を仮設した概念、あるいは経済的に設えられたポピュリズムやコマーシャリズムといった、現実には個人が客観化不能なイメージだけに支えられた使命のようなものに「待った」をかけたいからだ。ローカルというと、きっとドメスティックなものと誤解されたり、地域系の文化と混同されたりしてしまうかもしれない。それらは一見ローカルな文化に似ているけれど、結局は先に挙げたような巨視的なイメージに支えられた図式的な営みなのではないだろうか?

急いで自分の姿勢を社会に示さなければ、食い扶持もままならないような世の中だから、焦ってしまうのもしょうがないかもしれない。でも100 年前のことも、1000 年前のことも、10000 年前のことだって、どうせ目の前にあることを頼りに考えるほかないのだから、どこにでもあるはずの極めてローカルな「ここ」という世界の中心で、丁寧に考えていくしかない。

関東大震災の直後に起こった虐殺の記憶はblanClass にもほど近いところに、形になって幾つか点在している。いずれblanClass に関わっているアーティトたちも誘って、私もフィールドワークしてみようと思う。

小林晴夫(2015. 9-10. チラシ掲載)


related posts